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中学歴史「知っておきたいヨーロッパの歴史内容」高校入試対策

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中学歴史「知っておきたいヨーロッパの歴史内容」高校入試対策です。

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ヨーロッパの歴史のポイント

  • 中世ヨーロッパでは、キリスト教が生活の中心にありました。宗教改革より、キリスト教に宗派ができていきます。また日本も、そのキリスト教を伝えにきました。
  • 1640年のイギリスのピューリタン革命から1804年のナポレオンのフランス皇帝になるまでをまとめています。
  • 18世紀後半に、イギリスで世界初の産業革命がおこります。それをきっかけに、資本主義が発達し、自由主義が広まっていきます。

中世ヨーロッパ

  • キリスト教…カトリック協会がローマ教皇(法王)を頂点として発展。
  • イスラム教…ムハンマドが開いた一神教。
  • 十字軍…イスラム教徒にうばわれたエルサレム(キリストきょうの聖地)を取り戻すため、ヨーロッパの王や貴族がつくった軍隊。

ルネサンス

14世紀ごろのヨーロッパで、古代ギリシャ・ローマ文明が見直され、芸術や学問が発展。羅針盤や地図の改良が、大航海を後押しします。

アジアとの貿易によって、ベネチア・ジェノバなどの都市が栄えた14世紀の北イタリアでは、イスラム文化や古代ギリシャ・ローマの文化への関心が強く、教会や封建的なしきたり(身分や階級など)にとらわれない自由な動きが高まっていた。この人間性尊重の動きは、人間のありのままの感情を尊ぶ古代ギリシャ・ローマの文法の復興から始まったので、ルネサンス(文芸復興)とよばれている。

このような、ルネサンスの人間中心の考え方はヒューマニズム(人文主義)とよばれ、15~16世紀に西ヨーロッパのフランス・イギリス・オランダなどの地域に広まっていった。

文学では14世紀にイタリアで、ダンテが長編叙事詩「神曲」をイタリア語で著し、ルネサンスのさきがけとなった。また、ペトラルカがローマの古典の収集に努めて人間味のある叙情詩を著し、ボッカチオが「デカメロン」を著した。

スペインでは、セルバンテスが『ドン・キホーテ」を著して騎士を風刺し、イギリスではシェークスピアが「ベニスの商人」「ハムレット」など、すぐれた多くの作品を著した。いっぽう、絵画活動はフィレンツェ(イタリア中部の都市)を中心に行われ、レオナルド・ダビンチが「モナリザ」 職後の競金」などをえがき、ミケランジェロ(「天地創造」「最後の審判」)などやラファエロ(多くの「聖母子画」)らも、人間をえがいて活躍した。

彫刻では、ミケランジェロが「ダビデ像」や「ピエタ」「モーセ像」などの作品を残した。建築では、新しいルネサンス様式が生まれ、やわらかい感じのアーチ(半円型の天井)の塔を用いた調和と均整のとれた サン=ピエトロ大聖堂(ローマ教会の総本山)が建てられた。

ルネサンス期には、実験や観察が重んじられ、合理的な考え方が発達して、近代科学のもとが開かれた。16世紀半ばに、コペルニクス(ポーランド人)が天体観測にもとづいて地動説を唱え、1610年代に、ガリレオ=ガリレイ (イタリア人)が自ら製作した望遠鏡を使って天体を観測し、地動説の正しさを証明した。このころ、ローマ教会は、天動説を主張していたため、教会の権威を守ろうとして、地動説を唱えるガリレイらを弾圧した。

14世紀から15世紀に、イスラム世界を通じて中国から伝わった火薬や羅針盤がヨーロッパで改良され、実用化された。火薬の改良によって鉄砲が製造されると、騎士中心の一騎打ちから集団戦法に変わり、騎士階級の没落が早まった。いっぽう、羅針盤が改良されて遠洋航海が可能になり、16世紀にかけての新航路の開拓に影響をあたえた。

また、15世紀半ばにグーテンベルク(ドイツ人)によって、活版印刷術が発明されると、知識の普及と文化の発達に役立った。とくに聖書の広まりは、宗教改革の一因となった。

宗教改革

十字軍の遠征の失敗などでローマ教皇(法王)の権威がおとろえると、教会の信仰はしだいに形式的になり、聖職者の中には、富や権力など世俗的な利益を求めて、身をもちくずす者が現れた。

財政難に苦しむローマ教会やローマ教皇は、サン=ピエトロ大聖堂の改築費を集めるという名目で、農民に重税をかけたり、免罪符(贖宥状)を発行したりした。この免罪符を買えば罪が許され、天国に行けると教えたため、市民や農民の間に批判が高まった。

1517年、ドイツ人のルターは免罪符の販売に抗議して、「95か条の意見書(論題)」を発表し、これが宗教改革のきっかけとなった。ルターは、「人は信仰によってのみ救われるが、信仰のよりどころは教会や教皇ではなく、聖書である」と主張し、ラテン語で書かれた聖書をドイツ語に翻訳して広めた。ルターはローマ教皇の圧迫を 受けたが、その教えは教皇や教会に不満をもつ農民や諸侯に支持され、北ドイツを中心に広がっていった。

1541年、フランス人のカルヴァンはスイスで宗教改革を行い、「信御にもとづいて職業にはげみ、貯蓄に努めることが神の心にかなう」と説いた。この教えは、新興の商工業者の多いフランス・イギリス・オランダなどに広がっていった。

旧教側は、イエズス会を設立して布教に努めた。「旧教側は宗教改革に対して、これまでの形式的な信仰を反省し、宗教会議を開いて旧教(カトリック)の精神を確認し、ローマ教会の腐敗を改めようとした。1524年、スペイン人のロヨラやザビエルはイエズス会を設立し、きびしい規律を定め、ローマ教皇への忠誠をちかって団結し、アジアやアメリカ大陸への布教に努めた。

いっぽう、旧教側が新教徒を圧迫して両教徒の対立が深まるとフランスではユグノー戦争(1562年から1598年)、ドイツでは三十年戦争(1618年から1648年)という宗教戦争がおこった。

大航海時代

香辛料などを求めて新航路を探した。

  • ポルトガル…インド航路を発見。バスコ・ダ・ガマが1498年インドにわたる。
  • スペイン…イタリア人のコロンブスの航海を援助。コロンブスは1492年、大西洋を横断し、カリブ海の海に到達。マゼランは、部下が船隊を引きつぢ、1522年、世界一周を達成。

絶対王政

市民階級が絶対王政を倒した革命を、市民革命といいます。 絶対王政のもとでは、国王は大商人と結んで産業を統制し、議会を無視して重税をかけ、信仰の自由も認めていませんした。そこで、豊かな農民や工場経営者らは、都市の新興の 商工業者と結んで、議会で力をのばして対抗していきました。市民階級が、身分制にもとづく社会を改め、自由と平等を求めて絶対王政を倒した革命を市民革命とよんでいます。

16世紀ごろからヨーロッパの国王は、「国王の地位と権力は神から授けられたものであるから、人民はこれに服従しなければならない」という王権神授説をとなえ、絶対的な権力をにぎった。国王は、強力な軍隊と役人を従え、議会を無視し、国王を中心とする政治を行った。国王は、これらの費用をまかない、国力を高めるために、国内の経済を統制し、大商人を保護して輸出向けの産業をさかんにして貿易を奨励した(重商主義)。イギリスのエリザベス1世、フランスのルイ14世が典型的な絶対王政の王。

市民革命

地主や富農・中小商工業者のなかには、土地を失った農民を賃金労働者としてやとい、毛織物工業などの工場制手工業(マニュファクチュア)を経営して、多くの利益をえようとした者もあった。こうした工場制手工業の経営者(資本家)を市民階級とよび、市民革命の中心となった。

啓蒙思想
自由と平等もとに合理的な社会作ろうという思想。近代革命に影響を及ぼす。

  • ロック…イギリスの哲学者。社会契約説を唱える。
  • モンテスキュー…フランスの思想家。三権分立を唱える。
  • ルソー…フランスの思想家。人民主権を唱える。

市民階級が成長したイギリスでは、二つの革命がおこりました。

  • ピューリタン革命…1640年から60年、王政が否定され、クロムウェルによる共和政治が行われる。
  • 名誉革命…1688年、議会を無視する国王を追放し、新たなを王を迎える。翌年、権利章典を制定。名誉革命によってイギリスの議会政治の基礎ができた。

アメリカ独立戦争
北アメリカのイギリス植民地の人々が独立を達成。1775年植民地の人々がイギリス本国による新しい税と弾圧に抗議して戦いを始める。独立宣言を1760年6年に発表。アメリカ合衆国の成立は、人民主権・連邦制・三権分立を柱とする合衆国憲法制定。ワシントンが初代大統領に選ばれる。民主的な合衆国憲法は後の各国の憲法に影響を与えた。

フランス革命

フランスで民衆が立ち上がり、絶対王政が倒された。

  • 絶対王政…国が絶対的な権力を握って行う政治。フランス革命は、1789年7月、絶対王政への不満から各地で反乱がおこる。
  • 人権宣言…フランス革命中に出された自由・平等・人民主権などをうたった宣言。

ナポレオン
革命後の政治で権力を握り、1804年に皇帝となる。ヨーロッパでの大部分支配する。1815年に敗退。ナポレオン法典は、法の基の平等・経済活動の自由などが定められる。ナポレオンのヨーロッパ支配により、自由・平等の革命の理念が広まった。

産業革命

イギリスで始まった技術向上による産業と社会の仕組みの変化で、機械の発明・改良によって、これまでの工場制手工業 (マニュファクチュア)から工場制機械工業に変わり、社会・経済のしくみが変革したことを産業革命という。18世紀のイギリスでは、毛織物工業を中心とする工場制手工業が発達し、鉄鉱石と石炭が国内で豊富に産出した。また、海外に広い植民地をもっていたため、原料の供給地と製品の市場があり、豊かな資本をたくわえていて、産業革命がおこる基礎があった。

■ この頃のイギリス
紡績業で蒸気機関車で動く機会が使われる。安く大量に生産し、世界へ輸出する。

<資本主義社会>
産業革命によって成立。

  • 資本主義…資本家が労働者を雇い、生産活動を行う。
  • 社会主義…資本主義を批判し、平等の社会を目指そうという考え。

産業革命がおこり、資本主義の社会が成立した。その後、資本主義が発達して自由主義が欧米諸国に広まる。

  • イギリス…国力が高まり、世界の自由主義を広める。
  • ドイツ…ビスマルクが富国強兵を進め、1871年に統一。

19世紀になると、イギリスはアメリカ・インド・オーストラリアなど世界の各地に進出して、質がよくて安い工業製品を大量に売りさばくようになり、「世界の工場」とよばれるほどに発展した。産業革命は、19世紀前半にアメリカ合衆国やフランスに、19世紀後半にはドイツ・ロシア・日本などに広がっていった。

アメリカ南北戦争
自由貿易、奴隷制度などをめぐり南北が対立。1861年、南北戦争が起こる。リンカーン大統領が率いた北部が勝利する。南北戦争で北部が勝利したアメリカは、民主主義と資本主義の大国へ急成長をとべる。

アヘン戦争

イギリスが清との貿易の赤字の対策として、インドを含め3ヵ国で行った貿易を三国貿易という。1840年から42年、アヘンを厳しく取り締まった清をイギリスが攻撃し勝利する。

  • 南京条約…アヘン戦争の結果、イギリスが清に結ばせた不平等条約。
  • 太平天国の乱…1851年から64年、清でおこった洪秀全を中心とする反乱。貧富の差のない平等な社会を目指した。

インドの大反乱

1857年におこた、イギリスの支配に対する反乱。インド兵の反乱をきっかけに全国に広がる。イギリスが鎮圧し、インドを植民地とする。イギリスを先頭に欧米列強がアジアに進出した。

コメント

  1. […] 中学歴史の「近代革命(ピューリタン・名誉・独立戦争・フランスなど)」 […]

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