中学歴史の「武家諸法度と禁中並公家諸法度」のまとめ

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中学歴史の「武家諸法度と禁中並公家諸法度」のまとめです。徳川家光は1635年、武家諸法度で参勤交代を制度化します。そのことについて、詳しく記述しています。それでは、中学歴史の「武家諸法度と禁中並公家諸法度」のまとめです。

武家諸法度

幕府は、大名の勢力を弱めて反抗を防ぐため、1615年に2代将軍徳川秀忠の名前で初めて武家諸法度を定め、幕府の許可のない城の修理、大名家どうしの結婚などを禁じた。以後、この法度は、将軍が代わるたびに出された。

3代将軍徳川家光のときの武家諸法度(1635年)では、新たに参勤交代が制度化され、大船建造の禁止が追加された。

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参勤交代

参勤交代は、大名が1年おきに江戸と国元(藩)を往復するもので、妻子は実質的に人質として江戸におかれた。この江戸と国元の二重生活の負担で、大名は経済的に苦しんだ。武家諸法度に違反した大名は、改易(領地を没収し、藩を取りつぶす)・国替など、きびしく罰せられた。

禁中並公家諸法度

幕府は朝廷や公家が政治に関与するようになると、自ら権力をふるったり、他の大名に利用されたりするおそれがあり、幕府の支配がおびやかされると考えたため、禁中並公家諸法度を出して、天皇や公家の行動を制限し、朝廷が政治に関与することを禁じたうえ、京都所司代に朝廷の動きをきびしく監視させた。さらに、寺社に対しても法度を定め、寺社奉行を通じて統制した。

武家諸法度(1635年)の中身

  • 文武弓馬の道(学問と武芸)にはげむこと。
  • 大名は領地と江戸に交代 で住み、毎年4月中に参勤せよ。
  • 新しく城を築いてはならない。
  • 石垣などの修理は奉行所にとどけ出ること。
  • 大名は幕府の許可なく、かってに結婚してはならない。
  • 米500石を積むことができ る船を建造してはならない。

など

あわせて確認

以上が、中学歴史の「武家諸法度と禁中並公家諸法度」のまとめとなります。

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