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中学歴史「江戸時代の産業のポイントまとめ」

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中学歴史「江戸時代の産業のポイントまとめ」です。

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江戸時代の産業の発達

幕府や藩は田畑からの年貢をおもな経済的基礎としていたので、農業の奨励と耕地の拡大 (新田開発)に力をいれた。とくに8代将軍吉宗のころは積極的で、新田開発も大きく進んだ。

農業技術の発展

農村では、商品作物(綿・麻・藍・紅花・業種など)の栽培や養蚕とともに、耕作の合い間に副業として、織物や紙などをつくる農村家内工業が行われていた。18世紀になると、豊かな問屋商人や大地主は資金・原料・道具を農民に貸しあたえて、製品を買い取るようになり(問屋制家内工業)、大きな利益を上げるようになった。農業の発展のため、各方面で農業技術が改良された。

  • 農具…深く耕せるため開墾に適した備中ぐわが広まり、脱穀具も、それまでの2本の竹や木を用いたこき著にかわり鉄製の千歯こきが発明された。 もみをふるい分ける千石どおしや唐箕も考案された。
  • 肥料…人糞、尿や家畜の糞尿に加えて、乾燥した鰯(干鰯)や油かすなどお金で買う肥料(金肥)が用いられるようになり、生産量が増えた。
  • その他…用水のくみあげに踏車や竜骨車が使用されるようになり、耕作に牛馬の使用も広がった。

商品作物の増加

農家の副業としてつくられた。

  • 西木三草と特産物…四木三草の栽培が広まった。また、海外から伝えられたさつまいも・じゃがいも・ かぼちゃ・とうもろこし・すいかなども栽培されて特産物もでき、商品として売買されるようになった。
  • 養蚕…養蚕もすすんで生糸は国内生産でまにあうようになった。また、木綿生産の拡大によって, 民衆の衣料は麻から木綿に代わった。

江戸時代の林業

山林は土木・建築などの用材であり、治水のためにも重要なので,幕府や藩は整備に力をそそいだ。いっぽう、江戸や諸藩の城下町の発展によって建築用材の需要が多くなり、江戸深川の木場のように材木問屋が集まる所もできた。

江戸時代の牧畜

軍事・交通上の必要から馬の牧畜が進み、東北の南部馬が有名。中国地方では牛の牧畜が進んだ。

江戸時代の漁業

地曳網による大規模な漁法が発達して漁場も広がり、遠洋漁業も行われた。魚は食料だけでなく、肥料(干鰯)や中国への輸出品(長物)にも使われた。

江戸時代の製塩業

塩田法によって生産が増え、瀬戸内海の諸藩では専売品として奨励した。赤穂(兵庫県)が有名。

江戸時代の鉱業

金・銀・銅は、貿易の最大の輸出品で、貨幣の原料でもあるため、幕府はおもな鉱山を直轄地とし採掘した。

手工業の発達

簡屋制家内工業という城下町の職人や農村の副業として手工業が盛んになり、大商人が道具や材料を貸して製品をつくらせるという問屋制家内工業が生まれた。

工場制手工業

19世紀になって商品の需要が増えると、問屋制家内工業による生産では商品が追いつかなくなったため、一部の問屋商人や大地主は、労働者を作業場に集め、道具を使って分業と協業で生産するしくみをつくりだした。これを工場制手工業(マニュファクチュア)といい、すでに17世紀にこの形態が見られた伊丹や灘(兵庫県)の酒造業をはじめ、桐生 (群馬県)・足利(栃木県)の絹織物業、野田や銚子(千葉県) のしょうゆ醸造業、川口(埼玉県)の鋳物業、大阪周辺や尾張(愛知県)の綿織物業などで多く見られた。

工場制手工業が広まり、大量の商品が全国に行きわたるようになると、農村の自給自足経済がくずれ、幕府や藩の封建支配をゆり動かす力となっていった。また、江戸時代後期の工場制手工業は、明治時代に入って近代工業が発達するもとになった。

特産物の増加

諸藩の産業奨励によって、江戸時代中期になると各地にさまざまな特産物が生まれた。

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江戸時代の商業の広がり

諸産業の発達と交通の発達にともなって、商業がさかんになり、多くの商人が活躍した。諸藩は年貢米や特産物を貨幣にかえるため、大阪の蔵屋敷に運び、特定の商人に管理と売買にあたらせた。これらの物資を蔵物といい、もっとも重要な商品であった。いっぽう、民間からでた商品も全国に出回るようになり、納屋物とよばれた。

商人の専門化

商人の専門化がすすみ、問屋・仲買・小売商などの区別ができた。また、地方を商売してまわる行商人も増え,近江商人(滋賀県)や伊勢商人 (三重県)、さらに富山の薬売りが活躍した。

株仲間

商人のなかには営業の独占をねらって、株仲間という同業組合をつくるものもあらわれた。幕府ははじめこれを禁止したが、商人を統制するためと、彼らが許可のみかえりとして納める冥加金・運上金を 獲得するために、株仲間を認めたため発展した。

卸売市場

商業の発展にともなって、1つの商品を専門的にあつかう卸売市場もできた。大阪堂島の米市、江戸日本橋の魚市などが有名である。

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貨幣制度と金融業

幕府は経済を統制するため、貨幣の鋳造権を独占して、勘定奉行の監督のもと、金座・銀座・銭座で、それぞれ金貨・銀貨・銅貨をつくらせた。

藩札

諸藩では幕府の許可をえて、藩内だけで通用する藩札という紙幣を発行した。

両替商

貨幣の流通にともなって、手数料をとって貨幣の交換を行う両替商があらわれた。彼らは預金や貸付も行うようになり、さらに為替・手形を発行して信用取引の業務も行うようになっていった。

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江戸時代の交通

勤交代や産業の発達による物資の輸送のために交通が発達し幕府も全国支配の必要から整備につとめた。

五街道の整備

江戸の日本橋を中心とした五街道が中心的な道路として整備され、脇街道も多くつくられた。街道には並木を植えた一里塚がおかれて、旅人の便利がはかられた。

  • 東海道…江戸~京都。
  • 中山道…江戸~草津(滋賀県)。
  • 奥州道中…江戸~白河(福島県)。
  • 日光道中…江戸~日光(栃木県)。
  • 甲州道中…江戸~甲府(山梨県)。

宿場の発達

街道すじには宿場が設けられ馬・かご・人足が用意された。人馬が不足した時には、周辺の農村から助郷役として人馬が徴発された。宿場には、大名や幕府の役人が泊る本陣・脇本陣や民衆用の旅籠もつくられた。

関所の設置

幕府は江戸の防備のため, 箱根(神奈川県)などの主要な場所に関所をおいて通行人をきびしく取りしまった。

飛脚の制度

通信のために飛脚が用いられた。幕府が管理した飛脚を継飛脚といい、宿場ごとにリレー式に運んだ。その他大名の大名飛脚や町人が営む町 飛脚などがあった。大量の物資を運ぶには、船による輸送が便利であったので、沿岸の海上や河川を利用した水上交通が発達した。

沿海航路の開発

江戸・大阪間を結ぶことがもっとも重要であったので、ここには定期航路が開かれ、菱垣廻船・樽廻船などの定期船が運航した。河村瑞賢によって日本海を通る西廻り航路と太平洋を通る東廻り航路が開かれ、東北地方や日本海側でとれた米や産物が大阪・江戸に運ばれた。

河川の船運

17世紀はじめ、京都の角倉了以が富士川・天竜川(以上静岡県)や保津川・高瀬川(以上京 都府)を開いた。17世紀末には河村瑞賢が大阪の安治川を開き、内陸との交通が便利になった。

三都の繁栄

江戸・大阪・京都が栄える。

  • 江戸…政治の中心地。将軍のお膝元と呼ばれる。
  • 大阪…商業・金融の中心地。天下の台所と呼ばれ、諸藩の蔵屋敷が置かれた。
  • 京都…文化の中心。西陣織などの優れた工芸品。
  • 株仲間…大商人の同業者組合。都市での営業を独占。

人や物の行き来がさかんになり、都市は活気にあふれた

外国船の襲来

通商を求めて日本に接近する欧米諸国の船が増えた。しかし、幕府は外国からの接触を拒絶し鎖国政策を続けた。

  • 外国船の接近…19世紀になるとロシア・イギリス・アメリカの船が日本に近づくようになった。
  • 異国船打払令…1825年沿岸防護と外国船追放が目的。外国船の打ち払いを批判した学者は厳しく処罰された。
  • 大塩の乱…1837年大塩平八郎が天保の飢饉に対する奉行所の対応不満として起こした反乱。

天保の改革

  • 天保の改革老中水野忠邦が実施。倹約令で庶民の贅沢を禁止した。しかしながら、江戸・大阪周辺の農村を幕領にしようとしたが、大名・旗本が強く反対。天保の改革は失敗に終わる。
  • 株仲間の解散…物価の引き下げが目的
  • 雄藩…藩政改革通じて財政建て直しに成功し、政治的な発言力をつけた藩。薩摩藩・肥前藩・長州藩など。

享保・寛政の改革につづき、天保の改革も失敗に終わった。

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