中学歴史の「鎌倉幕府のしくみ」のまとめ

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中学歴史の「鎌倉幕府のしくみ」についてまとめています。源頼朝は征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府を開いた。その幕府のしくみについて詳しくまとめています。それでは、中学歴史の「鎌倉幕府のしくみ」のまとめです。

鎌倉幕府

論平の争乱の間も鎌倉をはなれず、武家政権をつ くることに力を注いだ源頼朝は、1192年、朝廷から征夷大将軍に任命された。三方が山で前面が海という要害の地である鎌倉は、源氏とのゆかりも深く、頼朝の政権の本拠地としてふさわしい場所だった。 頼朝がつくった武家政権を鎌倉幕府といい、幕府 が続いた約140年間を鎌倉時代という。これ以後、武家政治は約700年間続いた。

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鎌倉幕府のしくみ

鎌倉幕府のしくみは、律令などにもとづく複雑な朝廷のしくみに比べて簡単で実際的なもので、執権政治の確立期 (13世紀前半)に、徐々に整えられていった。

中央

中央には、一般の政務や財政をあつかう政所(初めは公文所があたった)、御家人の統率や軍事・警察などの仕事をする侍所、訴訟や裁判などの職務にかかわる問注所がおかれた。

地方

地方には、守護地頭がおかれた。のちに執権政治のもとで、政治の公正をはかるために有力な御家人が評定衆に任じられ(1225年)、合議制で政務を処理するようになった。また、京都には、朝廷の監視や西国武士の支配のために六波羅探題がおかれた(1221年)。

封建制度

将軍と御家人は御恩と奉公の関係で結ばれていた。 将軍と主従関係者と主従関係を結んだ武士を御家人といい、東国では、ほとんどの武士が御家人で、かれらの家来として家子・郎党がいた。

西国には将軍とは主従関係にない武士があり、朝廷や公家(貴族)に仕える者もあった。

将軍と御家人は、土地を仲立ちにして御恩と奉公の関係で結ばれていた。このしくみを封建制度という。

御恩

御恩は、将軍が御家人に先祖伝来の領地を認 め、功績があると新しい土地をあたえること

奉公

奉公は、御家人が将軍に忠誠をつくし、鎌倉や京都の警備にあたり、戦いのときは家来を率いて出陣するというものであった。

封建制度がしかれた社会を封建社会といい、武士が支配者として農民から年貢を取り立てたり、労役に従わせたりした。

あわせて確認

以上が、中学歴史の「鎌倉幕府のしくみ」のまとめとなります。

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