▶ YouTubeで学ぶ「中学生のためのマサノリ先生の授業」

中学歴史「鎌倉時代のポイントまとめ」

中学歴史の鎌倉時代のまとめです。源氏の活躍、北条氏の執権政治が柱となります。それを中心としてどう政治が行われたのかに焦点をあてながら勉強しましょう。それでは、中学歴史の鎌倉時代のまとめです。

スポンサーリンク

鎌倉時代のポイント

平氏の乱で源氏をおさえ、政治の実権を握ったのが平氏。平清盛は、1167年、武士として初の太政大臣となる。日宋貿易のため兵庫(神戸市)の港の整備を行った。一方の源氏は、1885年、壇ノ浦の戦いで兵士を滅亡させる。平氏の独占政治に対して武士の不満が増して倒された。

スポンサーリンク

鎌倉幕府

論平の争乱の間も鎌倉をはなれず、武家政権をつ くることに力を注いだ源頼朝は、1192年、朝廷から征夷大将軍に任命された。三方が山で前面が海という要害の地である鎌倉は、源氏とのゆかりも深く、頼朝の政権の本拠地としてふさわしい場所だった。 頼朝がつくった武家政権を鎌倉幕府といい、幕府 が続いた約140年間を鎌倉時代という。これ以後、武家政治は約700年間続いた。

鎌倉幕府のしくみ

鎌倉幕府のしくみは、律令などにもとづく複雑な朝廷のしくみに比べて簡単で実際的なもので、執権政治の確立期 (13世紀前半)に、徐々に整えられていった。

➊中央…中央には、一般の政務や財政をあつかう政所(初めは公文所があたった)、御家人の統率や軍事・警察などの仕事をする侍所、訴訟や裁判などの職務にかかわる問注所がおかれた。
➋地方…地方には、守護地頭がおかれた。のちに執権政治のもとで、政治の公正をはかるために有力な御家人が評定衆に任じられ(1225年)、合議制で政務を処理するようになった。また、京都には、朝廷の監視や西国武士の支配のために六波羅探題がおかれた(1221年)。

封建制度

将軍と御家人は御恩と奉公の関係で結ばれていた。 将軍と主従関係者と主従関係を結んだ武士を御家人といい、東国では、ほとんどの武士が御家人で、かれらの家来として家子・郎党がいた。

西国には将軍とは主従関係にない武士があり、朝廷や公家(貴族)に仕える者もあった。

将軍と御家人は、土地を仲立ちにして御恩と奉公の関係で結ばれていた。このしくみを封建制度という。

➊御恩…御恩は、将軍が御家人に先祖伝来の領地を認 め、功績があると新しい土地をあたえること
➋奉公…奉公は、御家人が将軍に忠誠をつくし、鎌倉や京都の警備にあたり、戦いのときは家来を率いて出陣するというものであった。

封建制度がしかれた社会を封建社会といい、武士が支配者として農民から年貢を取り立てたり、労役に従わせたりした。

スポンサーリンク

執権政治

  • 執権…将軍の補佐役。頼朝の死後、北条氏が独占。
  • 承久の乱…1221年後鳥羽上皇が幕府を倒そうとして、挙兵するが失敗。幕府の支配が拡大する。
  • 六波羅探題…承久の乱の後、京都に置かれた幕府の役所。朝廷の監視や西国の武士の統率をさせた。
  • 御成敗式目…1232年執権の北条泰時が制定した裁判の基準を御家人に示すための法律。

元軍の襲来

  • モングル帝国…チンギス・ハンが部族を統一して建てた国。フビライ・ハンが都を大都に移して、国号を元と改め、皇帝となる。
  • 元寇…執権北条時宗の時代、元の皇帝フビライが北九州に2度大軍を送るが幕府軍の抵抗や暴風などで退く。

鎌倉文化

  • 新しい仏教…法然の浄土宗。親鸞の浄土真宗。禅宗など。武士・民衆ににわかりやすく新しい仏教の宗派が生まれた。
  • 彫刻…東大寺南大門にある運慶らの金剛力士像。
  • 平家物語…琵琶法師が語り伝えた軍記物。

確認中学歴史「鎌倉時代の一問一答」

コメント