中学公民の「公害の種類と環境保全対策」のまとめです。高度経済成長期の四大公害からその後の環境保全対策、新しい公害とまとめています。それでは、中学公民の「公害の種類と環境保全対策」のまとめです。
公害の種類
公害とは、企業の生産活動や人々の日常生活の活動によって、人々の健康や生活環境をそこなう害のことをいいます。大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、裏 (典型7公害)などがあります。
これらの公害が発生した原因は、企業が利益を優先して 公害防止のための投資を積極的に行わなかったことと、国が公害防止よりも産業の発展を優先したことなどであげられます。
四大公害病
1950年代後半から公害が深刻化する中で、1967年~69年に かけて、水俣病, イタイイタイ病、四日市ぜんそく、新潟 水俣病の被害者住民らは、企業を相手どって訴訟を起こし、いずれも原告側の全面勝利に終わりました。判決文には、企業の責任と国が公害対策を怠ったと指摘しました。
公害名 | 水俣病 | 新潟水俣病 | イタイイタイ病 | 四日市ぜんそく |
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地域 | 熊本県の水俣湾周辺 | 新潟県阿賀野川流域 | 富山県神通川流域 | 三重県四日市市 |
原因 | メチル水銀中毒 | メチル水銀中毒 | カドミウム | 硫黄酸化物による大気汚染 |
症状 | 慢性の神経系疾患 | 慢性の神経系疾患 | 痛や病的骨折に襲われて運動不能状態 | 呼吸困難 |
裁判 | 1996年5月には関西訴訟を除く 7裁判所で正式和解 | 1995年12月に協定書を結んで最終決着 | 1972年8月に患者側が勝訴し,訴訟は事実上終結 | 1972年に患者側が勝訴 |
足尾銅山鉱毒事件
明治時代に起こった事件。これは、栃木県渡良瀬川上流の足 尾銅山から流れ出した銅・亜鉛などの鉱毒により、流域の農作物や漁獲に損害が生じ、農民の健康にも被害を与えた事件。この事件は、「公害の原点」といわれています。
環境保全への対策
- 1967年…公害対策基本法を制定
- 1971年…環境庁が設置
- 1993年…環境基本法を制定
- 1997年…環境アセスメント(環境影響評価)法が制定
わが国では1960年代後半から、公害批判の世論が高まり、住民運動が全国で展開されました。そこで政府は公害対策に本格的に取り組み、 1967年に公害対策基本法を制定し 1971年には、公害行政を一本化するため環境庁(現環境省) を設置しました。
公害防止のための費用や被害者救済のための費用は、公害の発生者である企業に負担させるという汚染者負担の原則 (PPP) や企業に公害発生の原因がある場合には、過失の有無にかかわらず企業の責任が問われる無過失責任制の考えも導入されるようになりました。
1997年には環境アセスメント(環境影響評価)法が制定され、企業が新たに開発を行う際は、開発行為が環境に与え は影響を事前に調査して評価することも制度化されました。
新しい公害
自動車の排ガスによる大気汚染、道路・鉄道・空港周辺での騒音や振動、ゴミの焼却過程で発生するダイオキシンによる土壌汚染など、身近な生活環境が悪化する都市公害・生活公害が問題になっています。
近年は、内分泌かく乱物質 (環境ホルモン)などの人体への影響が懸念。また、IC産業やIT産業などの先端技術産業からも有害化学物質が排出され、地下水の汚染などのハイテク公害、 IT公害なども起こっています。
飛散した鉱物繊維で肺がんなどをひき起こす, アスベスト(石綿)による問題も早急な対策が必要である。 こうした公害・環境問題に対し、国はこれまでの公害対 策基本法や自然環境保全法などを発展的に解消し、1993年に環境基本法を制定しました。
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