中学歴史の「土一揆」のまとめ

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中学歴史の「土一揆」のまとめについてまとめています。一揆の「揆」は、はかりごとを一緒にするという意味から派生しています。団結した農民らは、土一揆をおこすようになります。その土一揆の背景と各地でおこった土一揆をまとめています。それでは、中学歴史の「土一揆」のまとめです。

土一揆

農民らは、荘園領主や守護に対しては年貢を軽減すること、幕府に対しては徳政令(借金の帳消しを命じる法令)の発布を要求するようになりました。

農民(支配者側は「土民」とよんだ)らは、代表者を出して領主と交渉したり(強訴)、 武器を取って、領主に反抗したり、土倉・酒屋などの高利貸しをおそったりしました。これを土一揆といいます。応仁の乱(1467~1477年)前後にさかんにおこりました。

  • 馬借…物質の陸上輸送をあつかいました。
  • 問丸…運送業者をかねた倉庫業者
  • 土倉・酒屋…金融業者。幕府の保護の下、京都で繁栄。
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正長の土一揆

1428年、近江(滋賀県)の馬借らが幕府に徳政令を帳消を要求する正長の土一揆をおこしました。この徳政一揆 は、畿内(都の周辺)に広がる大規模なもので、人々は酒屋や土倉をおそって、借金証文を焼き捨てるなどしました。

山城国一揆

1485年には、山城(京都府)で国人(在地の有力武士)と農 民が、2派に分かれて争いを続けていた守護大名の畠山氏 の軍勢を追い出し、以後、8年間も自治を行った。これを山城国一揆といいます。

加賀の一向一揆

1488年には加賀(石川県)で、浄土 真宗(一向宗)の信者らが守護大名の富樫氏を滅ぼし、以後、約100年間も自治を行います。これを加賀の一向一揆といい、「百姓の持ちたる国」とよばれました。

あわせて確認

以上が、中学歴史の「土一揆」のまとめとなります。

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