中学歴史の「中世ヨーロッパ(ルネサンス・宗教改革など)と南蛮貿易」まとめについてです。中世ヨーロッパでは、キリスト教が生活の中心にありました。宗教改革より、キリスト教に宗派ができていきます。また日本も、そのキリスト教を伝えにきました。
中世ヨーロッパ
- キリスト教…カトリック協会がローマ教皇(法王)を頂点として発展。
- イスラム教…ムハンマドが開いた一神教。
- 十字軍…イスラム教徒にうばわれたエルサレム(キリストきょうの聖地)を取り戻すため、ヨーロッパの王や貴族がつくった軍隊。
ルネサンス
14世紀ごろのヨーロッパで、古代ギリシャ・ローマ文明が見直され、芸術や学問が発展。羅針盤や地図の改良が、大航海を後押しします。
アジアとの貿易によって、ベネチア・ジェノバなどの都市が栄えた14世紀の北イタリアでは、イスラム文化や古代ギリシャ・ローマの文化への関心が強く、教会や封建的なしきたり(身分や階級など)にとらわれない自由な動きが高まっていた。この人間性尊重の動きは、人間のありのままの感情を尊ぶ古代ギリシャ・ローマの文法の復興から始まったので、ルネサンス(文芸復興)とよばれている。
このような、ルネサンスの人間中心の考え方はヒューマニズム(人文主義)とよばれ、15~16世紀に西ヨーロッパのフランス・イギリス・オランダなどの地域に広まっていった。
文学では14世紀にイタリアで、ダンテが長編叙事詩「神曲」をイタリア語で著し、ルネサンスのさきがけとなった。また、ペトラルカがローマの古典の収集に努めて人間味のある叙情詩を著し、ボッカチオが「デカメロン」を著した。
スペインでは、セルバンテスが『ドン・キホーテ」を著して騎士を風刺し、イギリスではシェークスピアが「ベニスの商人」「ハムレット」など、すぐれた多くの作品を著した。いっぽう、絵画活動はフィレンツェ(イタリア中部の都市)を中心に行われ、レオナルド・ダビンチが「モナリザ」 職後の競金」などをえがき、ミケランジェロ(「天地創造」「最後の審判」)などやラファエロ(多くの「聖母子画」)らも、人間をえがいて活躍した。
彫刻では、ミケランジェロが「ダビデ像」や「ピエタ」「モーセ像」などの作品を残した。建築では、新しいルネサンス様式が生まれ、やわらかい感じのアーチ(半円型の天井)の塔を用いた調和と均整のとれた サン=ピエトロ大聖堂(ローマ教会の総本山)が建てられた。
ルネサンス期には、実験や観察が重んじられ、合理的な考え方が発達して、近代科学のもとが開かれた。16世紀半ばに、コペルニクス(ポーランド人)が天体観測にもとづいて地動説を唱え、1610年代に、ガリレオ=ガリレイ (イタリア人)が自ら製作した望遠鏡を使って天体を観測し、地動説の正しさを証明した。このころ、ローマ教会は、天動説を主張していたため、教会の権威を守ろうとして、地動説を唱えるガリレイらを弾圧した。
14世紀から15世紀に、イスラム世界を通じて中国から伝わった火薬や羅針盤がヨーロッパで改良され、実用化された。火薬の改良によって鉄砲が製造されると、騎士中心の一騎打ちから集団戦法に変わり、騎士階級の没落が早まった。いっぽう、羅針盤が改良されて遠洋航海が可能になり、16世紀にかけての新航路の開拓に影響をあたえた。
また、15世紀半ばにグーテンベルク(ドイツ人)によって、活版印刷術が発明されると、知識の普及と文化の発達に役立った。とくに聖書の広まりは、宗教改革の一因となった。
宗教改革
十字軍の遠征の失敗などでローマ教皇(法王)の権威がおとろえると、教会の信仰はしだいに形式的になり、聖職者の中には、富や権力など世俗的な利益を求めて、身をもちくずす者が現れた。
財政難に苦しむローマ教会やローマ教皇は、サン=ピエトロ大聖堂の改築費を集めるという名目で、農民に重税をかけたり、免罪符(贖宥状)を発行したりした。この免罪符を買えば罪が許され、天国に行けると教えたため、市民や農民の間に批判が高まった。
1517年、ドイツ人のルターは免罪符の販売に抗議して、「95か条の意見書(論題)」を発表し、これが宗教改革のきっかけとなった。ルターは、「人は信仰によってのみ救われるが、信仰のよりどころは教会や教皇ではなく、聖書である」と主張し、ラテン語で書かれた聖書をドイツ語に翻訳して広めた。ルターはローマ教皇の圧迫を 受けたが、その教えは教皇や教会に不満をもつ農民や諸侯に支持され、北ドイツを中心に広がっていった。
1541年、フランス人のカルヴァンはスイスで宗教改革を行い、「信御にもとづいて職業にはげみ、貯蓄に努めることが神の心にかなう」と説いた。この教えは、新興の商工業者の多いフランス・イギリス・オランダなどに広がっていった。
旧教側は、イエズス会を設立して布教に努めた。「旧教側は宗教改革に対して、これまでの形式的な信仰を反省し、宗教会議を開いて旧教(カトリック)の精神を確認し、ローマ教会の腐敗を改めようとした。1524年、スペイン人のロヨラやザビエルはイエズス会を設立し、きびしい規律を定め、ローマ教皇への忠誠をちかって団結し、アジアやアメリカ大陸への布教に努めた。
いっぽう、旧教側が新教徒を圧迫して両教徒の対立が深まるとフランスではユグノー戦争(1562年から1598年)、ドイツでは三十年戦争(1618年から1648年)という宗教戦争がおこった。
大航海時代
香辛料などを求めて新航路を探した。
- ポルトガル…インド航路を発見。バスコ・ダ・ガマが1498年インドにわたる。
- スペイン…イタリア人のコロンブスの航海を援助。コロンブスは1492年、大西洋を横断し、カリブ海の海に到達。マゼランは、部下が船隊を引きつぢ、1522年、世界一周を達成。
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