中学歴史「宗教改革」

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中学歴史の「宗教改革」についてまとめています。財政難に苦しむローマ教会は、免罪符を発行した。これがきっかけに、ルターやカルヴァンは宗教改革を行った。このあたりについて、詳しく記述しています。それでは、中学歴史の「宗教改革」のまとめです。

宗教改革の背景

十字軍の遠征の失敗などでローマ教皇(法王)の権威がおとろえると、教会の信仰はしだいに形式的になり、聖職者の中には、富や権力など世俗的な利益を求めて、身をもちくずす者が現れた。

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免罪符

財政難に苦しむローマ教会やローマ教皇は、サン=ピエトロ大聖堂の改築費を集めるという名目で、農民に重税をかけたり、免罪符(贖宥状)を発行したりした。この免罪符を買えば罪が許され、天国に行けると教えたため、市民や農民の間に批判が高まった。

2つの宗教改革

1517年、ドイツ人のルターは免罪符の販売に抗議して、「95か条の意見書(論題)」を発表し、これが宗教改革のきっかけとなった。ルターは、「人は信仰によってのみ救われるが、信仰のよりどころは教会や教皇ではなく、聖書である」と主張し、ラテン語で書かれた聖書をドイツ語に翻訳して広めた。ルターはローマ教皇の圧迫を 受けたが、その教えは教皇や教会に不満をもつ農民や諸侯に支持され、北ドイツを中心に広がっていった。

カルヴァン

1541年、フランス人のカルヴァンはスイスで宗教改革を行い、「信御にもとづいて職業にはげみ、貯蓄に努めることが神の心にかなう」と説いた。この教えは、新興の商工業者の多いフランス・イギリス・オランダなどに広がっていった。

宗教改革の影響

旧教側は、イエズス会を設立して布教に努めた。「旧教側は宗教改革に対して、これまでの形式的な信仰を反省し、宗教会議を開いて旧教(カトリック)の精神を確認し、ローマ教会の腐敗を改めようとした。1524年、スペイン人のロヨラやザビエルはイエズス会を設立し、きびしい規律を定め、ローマ教皇への忠誠をちかって団結し、アジアやアメリカ大陸への布教に努めた。

宗教改革

いっぽう、旧教側が新教徒を圧迫して両教徒の対立が深まるとフランスではユグノー戦争(1562年から1598年)、ドイツでは三十年戦争(1618年から1648年)という宗教戦争がおこった。

まとめ中学歴史「中世ヨーロッパ」

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