中学歴史の「田沼意次の政治」のまとめ

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中学歴史の「田沼意次の政治」のまとめです。田沼意次は株仲間の結成をすすめ、営業税を納めさせた。そのあたりの政治の内容について、詳しく記述しています。それでは、中学歴史の「田沼意次の政治」のまとめです。

田沼意次の政治

1972年に、10代将軍徳川家治のもとで幕府の老中となった田沼意次は、商人の豊かな経済力を利用した積極的な協策を行った。商工業者が株仲間(同業者組織)を結成することをすすめ、これに営業を独占させる特権をあたえる代わりに、運上金や冥加金などの営業税を納めさせ、 幕府の収入を増やそうとした。

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長崎貿易

長崎貿易では、オランダや中国への銅や俵物(アワビ・ナマコなどの干した海産物)の輸出を奨励して、金・銀の国外流出を防ごうとした。また、金・銀の輸入をはかり、貿易の拡大に努めた。さらに、印旛沼や手賀沼(千葉県)の干拓を進め。蝦夷地(現在の北海道)の開拓も計画した。しかし、田沼は商人との結びつきを批判され、天明のききん(1782~87年)が発生し、百姓一揆・打ちこわしが多発するなかで1786年、将軍家治の死とともに失脚した。

渋染一揆

1855年に岡山藩では、「えた」身分の人々に対して「衣類は柄のない藍染(青色)・渋染(茶色) のものに限る」 などの決まりをつくった。1856年、この差別政策に人々は団結して立ち上がり、これを行わせなかった。

まとめ

老中の田沼意次が行った政治。

  • 商工業者による株仲間を奨励。特権を与える代わりに営業税を徴収。
  • 長崎での貿易や俵物の輸出を拡大し、銅の専売制を実施。
  • 蝦夷地の調査。
  • 印旛沼(千葉県)の干拓。

商工業が活発になったが、賄賂が横行。凶作、天明の飢饉がおこり、各地で百姓一揆や打ちこわし。

あわせて確認

以上が、中学歴史の「田沼意次の政治」のまとめとなります。

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