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中学歴史「鉄砲・キリスト教の伝来と南蛮貿易のポイントまとめ」

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中学歴史の「鉄砲とキリスト教の伝来」についてのまとめです。1543年、種子島に初めて鉄砲が伝来し、1549年、ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えた。そのあたりについて、詳しく記述しています。それでは、中学歴史の「鉄砲とキリスト教の伝来」のまとめです。

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鉄砲の伝来

1543年、1隻の中国船が暴風雨にあい、九州南方の種子島(鹿児島県)に漂着します。この船に乗っていたポルトガル人が、日本に初めて鉄砲を伝えた。かれらは、日本に来た最初のヨーロッパ人です。

このころの日本は戦国時代だったので、鉄砲は戦いを有利に進めるための新しい武器として戦国大名に注目され、堺(大阪府)、近江(滋賀県)の国友、紀州(和歌山県)の根来 などで、刀鍛治職人によってさかんに製造されるようになり、またたく間に全国へ広がっていった。

集団戦法

鉄砲の伝来によって、城の造りは山城から高い石垣と狭間(銃眼)をもつ平城に変わり、戦いの方法も足軽鉄砲隊を中心とする集団戦法に変化した。その結果、勝敗が早く決るようになり、全国統一が急速に進んだといわれる。

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キリスト教の伝来

1549年、イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが鹿児島に来て、日本に初めてキリスト教(カトリック)を伝えた。ザビエルは鹿児島から平戸・山口・京都・豊後府内(大分市)などを訪れ、約2年3か月布教して日本を去った。

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南蛮貿易

ヨーロッパ人が来航するようになると、長崎や平戸(長崎県)でポルトガル人、スペイン人との間で交易が行われるようになった。このころ日本では、かれらを南蛮人(「南方から来た人」の意)とよんでいたことから、この交易を南蛮貿易という。南蛮貿易では、中国産の生糸や絹織物、東南アジアの香辛料(こしょうなど)、ヨーロッパの鉄砲・火薬・毛織物・時計・ガラス器などが輸入され、銀や刀剣・漆器などが輸出された。

南蛮文化

南蛮貿易に伴いヨーロッパ文化が流入。その後、多くの宣教師が来日して布教活動を進め、学校・ 孤児院・病院などを建てて慈善事業を行った。また、宣教師は南蛮文化(ヨーロッパ文化)を日本にもたらし、天文学・ 医学・航海術なども伝えた。活版印刷機も伝えられ、『イソップ(伊曽保)物語』や『平家物語』などがローマ字で印刷された。これらの出版物をキリシタン版(天草版)という。

  • パン・カステラ・カルタなど。
  • 南蛮屏風…南蛮船などの様子を描いた日本画。
  • 活版印刷術…ローマ字で印刷された書物が出版される。

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