古代文明についてです。学習のポイントは、それぞれの文明の特徴、場所をしっかりおさえることです。
古代四大文明のポイント
アフリカ・アジアに古代文明が発達した。農耕や牧畜が始まると、食料の計画的な生産や増産をめざすなかで、共同作業を指揮する指導者が現れた。
やがて、食料や土地・富などをめぐって戦いがおこるようになり、勝った指導者は負けた人々を支配し、支配者と被支配者が生まれ、国家が形成されていった。
それにともなって、都市や神殿の建設、かんがい工事などが行われ、すぐれた土木技術が発達し、青銅器・鉄器・文字などもつくられるようになった。
こうして、気候が温暖で土地が肥え、農耕に適した大河の流域で、エジプト文明・メソポタミア文明・7インダス文明・中国(黄河文明)などが発生した。
エジプト文明
ナイル川の洪水によって運ばれた肥沃な土地を利用して、紀元前6000年ごろに農業が始まり、やがて国家が生 まれた。紀元前3000年ごろにはナイル川流域に統一国家のエジプト王国が成立し, 約2500年以上も続いた。王は、太陽神の子として, 絶対的な力をもって祭政一致の政治を行い, 役人や神官は貴族として王に仕えた。
祭政一致の政治の影響で、宗教色の強い文化であった。石材を用いてピラミッドや人面身獣像であるスフィンクスがつくられた。 神殿や墓の内部には、かざりつけの絵画や彫刻も残されている。太陽を神として信仰した。また人は死んでも魂はほろびないと信じ、死体をミイラにする風習 があった。
ナイル川の氾濫の時期や種まきの時期を知るためや土地を測量するために天文学や測量術が発達し、それらによって1年を365日とする太陽暦もつくられた。また、象形文字(ヒエログリフ) を発明して、パピルスという草からつくった紙を用いて書いた。
メソポタミア文明
チグリス川 ユーフラテス川の流域のメソポタミア (いまのイラクにあたる) でも早くから農業が発達し、紀元前3000年ごろには国家が成立した。そして紀元前1700 年ごろバビロニアのハンムラビ王がメソポタミアを統一 した。王は絶対的な権力をもって祭政一致の政治を行い、また商業もさかえた。
天文学や数学の発達に加えて、信仰と結びついて占星術 (星占い)が行われた。暦はエジプトとちがい、月の運行をもとにした太陰暦が用いられ、1年を12か月、1週を7日、1時間を60分とする60進法の考え方が発明された。文字にはシュメール人が発明したくさび形文字が用いられた。発達した国家をおさめるための法律がつくられた。ハンムラビ法典は有名である。
メソポタミアの地域 (オリエントという)には多くの国家がおこったが、紀元前6世紀ごろ地中海の東部におこったペルシャによって統一された。これによってオリエントの文明は地中海諸地域に伝わり、各地の文明に影響をあたえた。とくに地中海東岸にいたフェニキア人は、貿易をしやすくするため22の表音文字をつくったが、これが現在のアルファベットのもとになった。
インダス文明
インダス川流域でも農業が発達し、紀元前2500年ごろには都市ができ、インダス文明がおこった。この文明は メソポタミア文明の影響をうけている。ハラッパとならぶ都市国家の遺跡であるモヘンジョダロは計画的な都市で、城壁のなかに道路・下水道・大浴場などがととのえられていた。絵文字であるインダス文字をきざんだ印章も発見されている。
紀元1500年ごろから,中央アジアにいたアーリア人の一部が南下し、インダス文明の地域を征服するとともに、ガンジス川流域にも進出し、都市国家をつくった。アーリア人は、バラモン (僧侶階級) を最高の階級としクシャトリア (王族貴族) バイシャ(市民) シュードラ (賤民)の4階層をもつカースト制度をつくった。
中国文明
紀元前6000年ごろから中国の黄河流域では、黄河が運んだ肥沃な黄土を利用して農業がおこり、多くの国家が成立した。そのうちの殷が、紀元前16世紀ごろそれらを統一した。殷では祭政一致の政治が行われ、貴族・一般の民衆・奴隷がいた。殷の都の遺跡を殷墟といい国王の墓や宮殿、青銅器・土器・中国最古の文字も発見された。
黄河流域では,早くから色をつけた土器 (彩陶) が使われていたが、後に灰陶 (灰色土器)、さらにろくろを用いた黒陶 (黒色土器) がつくられた。文字がカメの甲や動物の骨にきざまれていたので、甲骨文字といい、漢字のもとになった。これは占いにも使用された。
古代の四大文明がユーラシア・アフリカ大陸の大河流域でおこりました。
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