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中学歴史「奈良時代の定期テスト過去問分析問題」ポイント解説付

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中学歴史「奈良時代の定期テスト過去問分析問題」ポイント解説付です。問題を解いた後は、ポイントを見て確認しましょう

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奈良時代の定期テスト過去問分析問題

次の文を読んで、あとの問いに答えなさい。

6世紀末に推古天皇の(①   )となった聖徳太子は、ⓐ有力な豪族の協力のもとに政治を行い、中国の(②   )に使者を送って国交を開くなどした。このころ、ⓑ日本で最初の仏教文化が栄えた。聖徳太子の考え方は、ⓒ律令制度にもとづく中央集権国家という形で実現した。隋が滅んだあと、遣隋使にかわって(③    )が派遣された。奈良の都では、聖武天皇のころ、唐の影響を強く受けた(④    )文化が栄えた。

(1)文中の(①)~(④)に当てはまる語句をそれぞれ書き入れなさい。
(2)下線部ⓐについて、大化の改新で滅ぼされたのは何氏か。
(3)下線部ⓑについて、釈迦三尊像が置かれている寺院を何というか。
(4)下線部ⓒについて、税のうち、調の説明をしたものを次から選べ。
ア 労役のかわりに布を納める。  イ 織物や地方の特産物を納める。
ウ 北九州の警備にあたる。    エ 収穫量の約3%の稲を納める。

奈良時代の定期テスト過去問分析問題解答

(1)①摂政 ②隋 ③遣唐使 ④天平

天平文化は、仏教文化や正倉院の美術工芸品に見られるような、華やかな文化。

(2)蘇我氏

聖徳太子が亡くなると、朝廷では蘇我馬子の子である蘇我蝦夷と孫である蘇我入鹿が権勢をふるった。

(3)法隆寺

(4)イ

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奈良時代のポイント

聖武天皇は、仏教の力で国の平安を保とうとした。奈良時代の初めごろは皇族が政治を行い、朝廷で強い勢力をもっていた。

しかし、皇族や貴族の間で権力争いがおこるようになり、聖武天皇が在位した720年から740年代は凶作が続き疫病が流行するなど、社会不安が広がっていた。

仏教は国家の平安と繁栄をもたらし、人々を幸福にする力をもつとされていた。そこで、聖武天皇は仏教の鎮護国家の思想で国の平安を保とうと、国ごとに国分寺と国分尼寺を、都に総国分寺として東大寺を建て、大仏を造立した。

聖武天皇

大宝律令を施行した文武天皇が若くしてなくなったあと、その母が即位して元明天皇となると、710(和銅3)年に平城京をき築き、藤原京からここに都を移した。ここらが、奈良時代であり、聖武天皇が登場してきます。仏教で国を守ろうと国ごとに国分寺・国分尼寺、都に東大寺を建てた。その頃に天平文化が栄えました。

  • 平城京唐の都の長安ににせて作られた。
  • 仏教保護の政策…道鏡などの僧が政治に進出してくるもとになった。このころ、社会事業につくす人々が現れ、光明皇后(聖武天皇の皇后)が悲田院(養老院・孤児院)や施薬院(病院) を設けて、みなしごや病人を救った
  • 鑑真…何度も遭難しながらも、日本へ渡って仏教の戒律を伝えた。
  • 藤原仲麻呂…養老律令を施行した。
  • 光明子…驚く仏教を信仰し、貧窮者の救済をめざして悲田院・ 施薬院を置いた。

天平文化

聖武天皇の天平年間に最も栄えた、国際色豊かな仏教文化

  • 正倉院…聖武天皇の遺品が収められた。西アジアの影響やインドの影響を受けた宝物もあり、これらはシルクロードを通じて、遣唐使によってもたらされた。
  • 古事記・日本書記…神話や伝承・記録などをもとにまとめられた歴史書。
  • 風土記…各地の自然・産物・伝記などをもとにまとめた歴史書。
  • 万葉集…日本最古の歌集。山上憶良が貧しい農民の生活をよんだ「貧窮問答歌」が有名。
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