中学地理の東南アジアについてのまとめです。東南アジアの国々の工業化進んでいるのが特徴です。入試でも、そのあたりが出題されます。それでは、東南アジアについてみていきましょう。
東南アジア
東南アジアの国々は工業化が進んでいる
- 気候…大部分が熱帯に属し、季節風の影響が大きい。
- 宗教…マレーシア・インドネシアなどはイスラム教徒、タイ・ベトナムなどは仏教徒、フィリピンはキリスト教徒が多い
- 農業…稲作が盛んで二期作を行う地域もある。タイは、米の輸出量と天然ゴムの生産量は世界一。マレーシア、インドネシアでプランテーションでコーヒーを栽培。
- 工業…マレーシアは積極的に工業化政策すすめ、工場製品の輸出国となる。台湾は、外国企業誘致して工業化を進める。多くの日本企業はタイに進出。
複雑な民族構成
一つの国にさまざまな民族が暮らす。中国系の華人の人々は、さまざまな分野で活躍。
東南アジアの農業
年に2回稲を栽培する二期作が行われている地域がある。タイやベトナムは世界有数の米の輸出国。マレーシアやインドネシア、フィリピンなどではプランテーションで天然ゴムやバナナなどの輸出用の作物を生産。ベトナムではコーヒーの栽培がさかん。
工業化の進展
工業団地を整備し、外国企業を受け入れシンガポールやマレーシア、タイで電気機械工業のアジアの自動車生産の拠点になっている送用機械工業が発達。
最近では、ベトナムやインドネシア、さらに賃金が安いミャンマーやカンボジアなどにも工場が進出。生活用品をつくる工場が進出しはじめた。
東南アジア諸国連合(ASEAN)
貿易や人の交流で1967年に結成。この国が認している。 結びつきが強まる。日本や中国などとの関係も深まる。
現在は10か国が加盟し、域内人口はヨーロッパ連合(EU)や北米自由貿易協(NAFTA) より多い6億1800万人(2013年)で、貿易額は日本を上回っている。
最近は、政治・外交・安全保障の面でも緊密な連携をとるようになり、国際的な発言力を増している。
インドネシア
インドネシアは、国土に赤道が通り、人口は世界第4位。多くの人々がイスラム教を信仰している国です。
インドネシアの「ネシア」とは「島」を意味する言葉で、その名の通り大小約1万3500もの島々からなる国である。最大の島はカリマンタン(ボルネオ)島で、島としての面積は世界第3位である。このほか、首都ジャカルタがあるジャワ島やスマトラ島、スラウェシ島などがある。
環太平洋造山帯とアルプス=ヒマラヤ造山帯の接点にあり、火山や地震が多いことも特徴で、2004年末におこったスマトラ島沖地震では、東南アジアやインド洋沿岸諸国に大津波の被害をもたらした。
インドネシアの気候
気候は、国土の多くが赤道付近に 集中するため、高温多雨な熱帯雨林気候が中心で、海岸部にはマングローブが広がっている。
インドネシアの人口
人口は世界第4位で、ジャワ島に人口が集中している。国民の約80%はイスラム教を信仰しているが、バリ島ではヒンドゥー教を信仰する人が多く、宗教も多様である。
インドネシアの歴史
島ごとに異なる歴史と文化をもつ国であるが、17世紀にオランダの支配下に入り、その後、第二次世界大戦まで長きにわたって植民地支配を受け続けた。大戦中、一時日本の支配を受けたが、1945年に独立を宣言した。
東部にあるティモール島の東半分は、かつてポルトガルの植民地で, キリスト教徒が多く暮らしていた。そのため、インドネシアからの独立闘争がおこり、2002年に東テイモールとして独立した。日本も独立後の東ティモールの支援活動を行った。
インドネシアの産業の特色
天然ゴムやパーム油の生産がさかん。近年は工業化も進む。インドネシアの農業は、植民地時代からのプランテーション (大農園)による天然ゴムやパーム油(油やしが原料)などの生産が中心である。
また高温多雨な気候を生かして稲作もさかんで、就業人口の約3分の1は農林水産業に従事している 石油天然ガスなど資源も豊富なため、一次産品の輸出が多い。
第二次世界大戦後、日本と密接な関わりをもつようになり、日本からの政府開発援助(ODA)の額も多い。日本企業も多く進出しており、近年ではテレビなどの電気機器やタイヤなどの自動車部品の生産ものびている。
マレーシア
マレーシアは、マレー系、中国系などが住む多民族国家で、かつてはイギリスの植民地であった国です。
マレーシアは、インドシナ半島から続くマレー半島の中南部と、カリマンタン(ボルネオ)島北西部からなる連邦国家である。マレー半島南西部には平地が多いものの、そのほかの地域は山がちで、とくにカリマンタン島には火山が多く、ジャングルが広がっている。
また、熱帯雨林気候に属し、年間を通じて高温多雨である。
国民の多くはイスラム教を信仰し、イスラム教が国教となっているが、仏教徒、ヒンドゥー教徒なども多い。
マレーシアの歴史
この地にもともと生活していたのはマレー人だが、16世紀にポルトガル人が来航すると農園での労働者や商人として中国人(華人)が多く移住するようになった。
19世紀にはイギリスの植民地となり、イギリス人の経営する天然ゴム園などのプランテーション(大農園)労働者として、中国人のほか、インド南部のタミル人が多く連れてこられ、これを機にマレーシアは多民族国家となっていった。
その後、第二次世界大戦後に独立してマレー連邦を成立させたが、1965年にシンガポールを分離して、現在の姿となった。
マレーシアの産業
ルックイースト政策でモノカルチャー経済を脱却し、工業化が進む。 かつてマレーシアは、天然ゴムやすずなど特定の一次産品に依存するモノカルチャー経済の国であった。しかし、こうした産品は需要と供給の関係がくずれやすく、価格変動が激しく、国内経済が不安定になるため、1970年代から国策として工業化が進められた。
1980年代初頭から、日本や韓国の工業化を手本とするルックイースト政策とよばれる政策をはじめ、マレー半島に自由貿易地区を設けて、外国の企業を誘致した。この結果、電気機械、電子機器、自動車工業などが急成長した。とくに、半導体の生産は世界有数である。
このように工業化が進んだ結果、輸出総額は大きくのび、マレーシアはモノカルチャー経済から脱却した。
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