中学歴史「江戸時代」総まとめポイント・練習問題

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江戸時代に関する練習問題についてです。学習のポイントは、内容がもりだくさんかつ、範囲が広いので、各政治改革の内容、商業や農業の発達、文化を中心に学習したあとで、細かいところをおさえていくことがいいでしょう。

江戸幕府の成立

1600年、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した。三河(愛知県)の小さな大名だった。徳川家康は、織田信長と同盟を結び、豊臣秀吉が実権をにぎると、家臣となった。秀吉が北条氏を滅ぼすと関東の地をあたえられ(1590年)、江戸を本拠地として、実力をたくわえていった。豊臣秀吉の死後、豊臣政権の力が弱まり、徳川家康の勢力がのびてくると、豊臣氏をもり立てようとする石田三成らが家康を倒そうとして、1600年に兵をあげた(関ヶ原の戦い)。徳川家康を中心とする東軍と三成らの西軍に分かれて、18万余りの軍勢が激突したが、この戦いに勝った家康は、豊臣秀頼(秀吉の子)を一大名の地位に落として、天下の実権をにぎった。

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江戸幕府

1603年、徳川家康は朝廷から征夷大将軍に任命され、江戸幕 府を開いた。以後の約260年間を江戸時代という。幕府を開いたとはいえ, 大阪城には豊臣秀頼がいて、父の豊臣秀吉の後継者とみる大名もいた。そこで徳川家康は、徳川家が代々将軍職をつとめる家がらであることを示すために子の徳川秀忠を2代将軍としたが、自らは政治の実権は手放さなかった。さらに政権を安泰にする。1614・1615年の2度にわたって大阪城を攻めて、豊臣氏を滅ぼしこれを、大阪冬の陣・夏の陣という。

江戸時代初期

徳川家康は、豊臣氏の戦力を抑え、江戸に幕府を開く。

  • 関ヶ原の戦い…1600年石田三成らを倒す。
  • 江戸幕府…1603年徳川家康が征夷大将軍となり江戸に幕府開く。江戸時代が始まる
  • 大阪の陣…1614年・15年豊臣氏を滅ぼして、権力を確立。
  • 幕藩体制…幕府と藩が全国の土地と人民を支配。
  • 幕僚…幕府が直接支配した土地。
  • 藩…大名の領地とその支配の仕組み。
  • 武家諸法度…大名を統制。無断の城改築などを禁止。
  • 参勤交代…大名が1年おきに領地と江戸を往復。五街道の整備につながる。3代将軍徳川家光が制定。
  • 禁中並公家諸法度…天皇公家の行動規制。

江戸初期は、大名や朝廷の力をおさえ、幕府権力の基礎が固められた。

武家諸法度

幕府は、大名の勢力を弱めて反抗を防ぐため、1615年に2代将軍徳川秀忠の名前で初めて武家諸法度を定め、幕府の許可のない城の修理、大名家どうしの結婚などを禁じた。以後、この法度は、将軍が代わるたびに出された。

  • 文武弓馬の道(学問と武芸)にはげむこと。
  • 大名は領地と江戸に交代 で住み、毎年4月中に参勤せよ。
  • 新しく城を築いてはならない。
  • 石垣などの修理は奉行所にとどけ出ること。
  • 大名は幕府の許可なく、かってに結婚してはならない。
  • 米500石を積むことができ る船を建造してはならない。

など

3代将軍徳川家光のときの武家諸法度(1635年)では、新たに参勤交代が制度化され、大船建造の禁止が追加された。

参勤交代

参勤交代は、大名が1年おきに江戸と国元(藩)を往復するもので、妻子は実質的に人質として江戸におかれた。この江戸と国元の二重生活の負担で、大名は経済的に苦しんだ。武家諸法度に違反した大名は、改易(領地を没収し、藩を取りつぶす)・国替など、きびしく罰せられた。

禁中並公家諸法度

幕府は朝廷や公家が政治に関与するようになると、自ら権力をふるったり、他の大名に利用されたりするおそれがあり、幕府の支配がおびやかされると考えたため、禁中並公家諸法度を出して、天皇や公家の行動を制限し、朝廷が政治に関与することを禁じたうえ、京都所司代に朝廷の動きをきびしく監視させた。さらに、寺社に対しても法度を定め、寺社奉行を通じて統制した。

江戸の身分

江戸時代は、身分の区分がさらに細かく定められた。

  • 武士…名字・帯刀を許された支配身分。武士道を守る。
  • 町人…武士とともに城下町に住まわれた。
  • 百姓…人口の約85%。本百姓と水のみ百姓。5人組の制度で年貢の納入などの連帯責任は負わされた。

兵農分離によって定めた身分制度がより強いものとなった。

朱印船貿易

キリスト教の拡大された幕府は、禁教と鎖国を行った。

  • 朱印船貿易…徳川家康が朱印状を出し、東南アジア貿易をが盛んになった。各地に日本町ができる。
  • 禁教令…キリスト教信仰を禁止。
  • 島原・天草一揆…キリスト教徒の一揆。
  • 鎖国…ポルトガル人を追放。オランダ商館を長崎の出島に移す。中国船・オランダ船以外との貿易を禁止。鎖国下の対外関係では、オランダ、中国以外とも交流。
  • 朝鮮と国交回復…朝鮮通信使の来日。対馬藩が窓口。
  • 琉球王国…沖縄県にあり、薩摩藩が支配。中国にも朝貢。
  • 蝦夷地…松前藩がアイヌの人々との交易を独占。

鎖国でも朝鮮、琉球、蝦夷地などとの交流が行われた。

鎖国下の対外関係

1641年、幕府は平戸にあったオランダ商館を長崎の出島に移し、ここだけで貿易を許可しました。オランダは、ただ1つ残ったヨーロッパの国で、キリスト教の布教を交易の条件としない新教国だったので、貿易を許されました。しかし、出島から自由に出ることはできず、長崎奉行のきびしい監視のもとにおかれてました。

オランダ風説書

オランダ商館長は、オランダ船がもたらす海外の情報をオランダ風説書として、幕府に毎年提出させられ、これによって幕府は、海外の情報を知ることができました。

中国(明・清)

中国(明・清)とは正式な国交はありませんでたが、民間の商船が九州各地に多数来航しました。やがて幕府は、中国人の居住を長崎の唐人屋敷に限定して貿易を認めて、他の場所での交易を禁止するようになりました。 中国からも、海外の情報が提供された唐船風説書があります。

●輸出・輸入品

  • 輸出…金・銀・銅・海産物・陶磁器など
  • 輸入…生糸・絹織物・砂糖・医薬品など

その他の対外関係

この長崎での貿易のほかに、朝鮮・琉球・蝦夷地とも交流がありました。

●朝鮮
朝鮮とは、豊臣秀吉の侵略以来国交がとだえていましたが、江戸時代初めの1609年に、対馬藩主の宗氏を通じての交渉で国交が回復した。対馬藩は、釜山におかれた倭館で貿易を再開しました。この対朝鮮貿易では、対馬藩に独占的な特権があたえられました。朝鮮からは、幕府の将軍が代わるごとに、400~500人の使節が祝賀の目的で江戸に送られた(通信使)。通信使の往復の際には、各地でさまざまな行事がもよおされ、使節 の話を聞こうとする学者や文人が宿舎を訪れたりしました。

●琉球王国
琉球王国は、1609年に薩摩藩に征服され、きびしい監督下におかれました。薩摩藩は独立した王国と見せかけ、中国(明・ 清)との貿易を続けさせた。琉球王国は、幕府の将軍や琉球国王が代わるごとに使節(慶賀使・謝恩使)を送ってきました。

●蝦夷地
蝦夷地(現在の北海道)では、アイヌの人々が狩りや漁を行い、樺太(サハリン)や千島列島、中国東北部と交易していました。幕府から蝦夷地の支配を認められていた松前藩は、ア スの人々との取り引きを独占し、少しの米などで大量の 博産物を得て大きな利益を得ていた。そのため、アイヌの人々は、1669年、シャクシャインを指導者として決起しました。しかしながら、2か月の戦いののちに敗れ、以後、さらにさびしい支配を受けることとなりました。

ペリーの来航

1853年浦賀に来航し開国を要求。アメリカの使節で東インド艦隊司令長官のペリーが4隻の軍艦を率いて浦賀(神奈川県) に来航した。これらの軍艦は船体が黒かったので、当時の人々は「黒船」とよんだ。アメリカ合衆国はそのころ、日本を、北太平洋での捕鯨の寄港地や中国貿易を行うための中継地にしたいと考えていた。そこでペリーは大統領の国書を江戸幕府にわたして、開国を強く要求した。幕府は翌年に返事をすると約束し、先例を破って朝廷に報告するとともに、諸大名や旗本らの意見を聞いた。このことは、幕府の権威を弱める結果となり、朝廷や大名の政治への発言力を強めることとなった。

  • 日米和親条約…1854年に結ぶ。下田・函館を開港。
  • 日米修好通商条約…1858年に結ぶ。領事裁判権を認め、関税自主権がないなど日本に不平等な条約。
  • 貿易の開始…オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも条約を結ぶ貿易を開始。最大の貿易港は横浜。貿易の相手国はイギリスが中心。
  • 開国の影響…物資の不足や金貨が大量に国外流出ことなどから物価が上昇した。自由な貿易の開始は日本の経済に大きな影響を与えた。

開国後の経済

貿易が始まると、日本は生糸・茶・海産物などを輸出し、毛織物・綿織物(綿糸をふくむ)や武器などを輸入した。しかし、安価な綿製品が大量に輸入されたため、国内の生産地は大打撃を受けた。また、絹織物業者の中には生示が海外に輸出されてしまうため、原料が不足して倒産する者も多く出た。さらに、米や生糸は商人に買いしめられて、品不足になった。そのうえ、幕府が金の海外流出を防ぐために質の悪い貨幣(小判)をつくったことで、物価が急上昇して国内の経済は混乱し、下級武士や庶民 (一般の人々)の生活が苦しくなった。このため、百姓一揆や打ちこわしが続発するようになった。

尊王攘夷運動

天皇を尊ぶ尊王論と外国の勢力を排除しようとする攘夷論が結びついた。幕府に対する反対運動。

  • 安政の大獄…大老井伊直弼が幕府に反対した人々を処罰。
  • 桜田門外の変…反対派の武士が井伊直弼を暗殺した事件。
  • 薩摩藩…1862年イギリス人を殺害する事件を起こす。翌年、イギリス艦隊の報復攻撃を受ける。
  • 長州藩…1863年下関(関門)海峡を通る外国船を砲撃。翌年、4国の連合艦隊の報復攻撃を受ける。

倒幕への動き

  • 薩長同盟…1866年薩摩藩と長州藩が土佐藩の出身の坂本龍馬の仲立ちで同盟を結び、倒幕を目指す。
  • 民主の動き…世直し一揆や打ちこわしが多発。1867年には「ええじゃないか」と踊るさわきが流行。
    攘夷に失敗した薩摩藩・長州藩が倒幕運動の中心となった。

大政奉還

江戸幕府が倒れ天皇中心の新政府が成立した

  • 大政奉還…1867年15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返した。
  • 王政復古の大号令…1867年朝廷が天皇中心とする政治に戻すことを宣言した。
  • 戊辰戦争…1868年旧幕府軍が新政府軍との戦いを始める。翌年、旧幕府が降伏。700年近く続いた武士の政治が終わった。

江戸時代の商業の広がり

諸産業の発達と交通の発達にともなって、商業がさかんになり、多くの商人が活躍した。諸藩は年貢米や特産物を貨幣にかえるため、大阪の蔵屋敷に運び、特定の商人に管理と売買にあたらせた。これらの物資を蔵物といい、もっとも重要な商品であった。いっぽう、民間からでた商品も全国に出回るようになり、納屋物とよばれた。

商人の専門化

商人の専門化がすすみ、問屋・仲買・小売商などの区別ができた。また、地方を商売してまわる行商人も増え,近江商人(滋賀県)や伊勢商人 (三重県)、さらに富山の薬売りが活躍した。

株仲間

商人のなかには営業の独占をねらって、株仲間という同業組合をつくるものもあらわれた。幕府ははじめこれを禁止したが、商人を統制するためと、彼らが許可のみかえりとして納める冥加金・運上金を 獲得するために、株仲間を認めたため発展した。

卸売市場

商業の発展にともなって、1つの商品を専門的にあつかう卸売市場もできた。大阪堂島の米市、江戸日本橋の魚市などが有名である。

貨幣制度と金融業

幕府は経済を統制するため、貨幣の鋳造権を独占して、勘定奉行の監督のもと、金座・銀座・銭座で、それぞれ金貨・銀貨・銅貨をつくらせた。

藩札

諸藩では幕府の許可をえて、藩内だけで通用する藩札という紙幣を発行した。

両替商

貨幣の流通にともなって、手数料をとって貨幣の交換を行う両替商があらわれた。彼らは預金や貸付も行うようになり、さらに為替・手形を発行して信用取引の業務も行うようになっていった。

江戸時代の産業の発達

幕府や藩は田畑からの年貢をおもな経済的基礎としていたので、農業の奨励と耕地の拡大 (新田開発)に力をいれた。とくに8代将軍吉宗のころは積極的で、新田開発も大きく進んだ。

農業技術の発展

農村では、商品作物(綿・麻・藍・紅花・業種など)の栽培や養蚕とともに、耕作の合い間に副業として、織物や紙などをつくる農村家内工業が行われていた。18世紀になると、豊かな問屋商人や大地主は資金・原料・道具を農民に貸しあたえて、製品を買い取るようになり(問屋制家内工業)、大きな利益を上げるようになった。農業の発展のため、各方面で農業技術が改良された。

  • 農具…深く耕せるため開墾に適した備中ぐわが広まり、脱穀具も、それまでの2本の竹や木を用いたこき著にかわり鉄製の千歯こきが発明された。 もみをふるい分ける千石どおしや唐箕も考案された。
  • 肥料…人糞、尿や家畜の糞尿に加えて、乾燥した鰯(干鰯)や油かすなどお金で買う肥料(金肥)が用いられるようになり、生産量が増えた。
  • その他…用水のくみあげに踏車や竜骨車が使用されるようになり、耕作に牛馬の使用も広がった。

商品作物の増加

農家の副業としてつくられた。

  • 西木三草と特産物…四木三草の栽培が広まった。また、海外から伝えられたさつまいも・じゃがいも・ かぼちゃ・とうもろこし・すいかなども栽培されて特産物もでき、商品として売買されるようになった。
  • 養蚕…養蚕もすすんで生糸は国内生産でまにあうようになった。また、木綿生産の拡大によって, 民衆の衣料は麻から木綿に代わった。

林業

山林は土木・建築などの用材であり、治水のためにも重要なので,幕府や藩は整備に力をそそいだ。いっぽう、江戸や諸藩の城下町の発展によって建築用材の需要が多くなり、江戸深川の木場のように材木問屋が集まる所もできた。

牧畜

軍事・交通上の必要から馬の牧畜が進み、東北の南部馬が有名。中国地方では牛の牧畜が進んだ。

漁業

地曳網による大規模な漁法が発達して漁場も広がり、遠洋漁業も行われた。魚は食料だけでなく、肥料(干鰯)や中国への輸出品(長物)にも使われた。

製塩業

塩田法によって生産が増え、瀬戸内海の諸藩では専売品として奨励した。赤穂(兵庫県)が有名。

鉱業

金・銀・銅は、貿易の最大の輸出品で、貨幣の原料でもあるため、幕府はおもな鉱山を直轄地とし採掘した。

手工業の発達

簡屋制家内工業という城下町の職人や農村の副業として手工業が盛んになり、大商人が道具や材料を貸して製品をつくらせるという問屋制家内工業が生まれた。

工場制手工業

19世紀になって商品の需要が増えると、問屋制家内工業による生産では商品が追いつかなくなったため、一部の問屋商人や大地主は、労働者を作業場に集め、道具を使って分業と協業で生産するしくみをつくりだした。これを工場制手工業(マニュファクチュア)といい、すでに17世紀にこの形態が見られた伊丹や灘(兵庫県)の酒造業をはじめ、桐生 (群馬県)・足利(栃木県)の絹織物業、野田や銚子(千葉県) のしょうゆ醸造業、川口(埼玉県)の鋳物業、大阪周辺や尾張(愛知県)の綿織物業などで多く見られた。

工場制手工業が広まり、大量の商品が全国に行きわたるようになると、農村の自給自足経済がくずれ、幕府や藩の封建支配をゆり動かす力となっていった。また、江戸時代後期の工場制手工業は、明治時代に入って近代工業が発達するもとになった。

特産物の増加

諸藩の産業奨励によって、江戸時代中期になると各地にさまざまな特産物が生まれた。

江戸時代の交通

勤交代や産業の発達による物資の輸送のために交通が発達し幕府も全国支配の必要から整備につとめた。

五街道の整備

江戸の日本橋を中心とした五街道が中心的な道路として整備され、脇街道も多くつくられた。街道には並木を植えた一里塚がおかれて、旅人の便利がはかられた。

  • 東海道…江戸~京都。
  • 中山道…江戸~草津(滋賀県)。
  • 奥州道中…江戸~白河(福島県)。
  • 日光道中…江戸~日光(栃木県)。
  • 甲州道中…江戸~甲府(山梨県)。

宿場の発達

街道すじには宿場が設けられ馬・かご・人足が用意された。人馬が不足した時には、周辺の農村から助郷役として人馬が徴発された。宿場には、大名や幕府の役人が泊る本陣・脇本陣や民衆用の旅籠もつくられた。

関所の設置

幕府は江戸の防備のため, 箱根(神奈川県)などの主要な場所に関所をおいて通行人をきびしく取りしまった。

飛脚の制度

通信のために飛脚が用いられた。幕府が管理した飛脚を継飛脚といい、宿場ごとにリレー式に運んだ。その他大名の大名飛脚や町人が営む町 飛脚などがあった。大量の物資を運ぶには、船による輸送が便利であったので、沿岸の海上や河川を利用した水上交通が発達した。

沿海航路の開発

江戸・大阪間を結ぶことがもっとも重要であったので、ここには定期航路が開かれ、菱垣廻船・樽廻船などの定期船が運航した。河村瑞賢によって日本海を通る西廻り航路と太平洋を通る東廻り航路が開かれ、東北地方や日本海側でとれた米や産物が大阪・江戸に運ばれた。

河川の船運

17世紀はじめ、京都の角倉了以が富士川・天竜川(以上静岡県)や保津川・高瀬川(以上京 都府)を開いた。17世紀末には河村瑞賢が大阪の安治川を開き、内陸との交通が便利になった。

三都の繁栄

江戸・大阪・京都が栄える。

  • 江戸…政治の中心地。将軍のお膝元と呼ばれる。
  • 大阪…商業・金融の中心地。天下の台所と呼ばれ、諸藩の蔵屋敷が置かれた。
  • 京都…文化の中心。西陣織などの優れた工芸品。
  • 株仲間…大商人の同業者組合。都市での営業を独占。

人や物の行き来がさかんになり、都市は活気にあふれた

江戸時代の文化

元禄文化

綱吉の時代の上方を中心に町人の文化が栄えた。上方(京都・大阪が中心)都市の勢いを表す経済力をつけた町人による新しい文化。

  • 朱子学…儒学の1つで、身分の上下を重視する考え方。五代将軍徳川綱吉が幕府の学問とした。
  • 浮世絵…版画として売られ、一般に広まる。
  • 松尾芭蕉…俳諧を芸術にまで高め、「奥の細道」を表す。

浮世草子や歌舞伎など多くの大衆文化が発達した。

化政文化

幕府が奨励した朱子学のほか、国学・蘭学が発達した。化政文化は、19世紀の初めの江戸の庶民が担い手となった大衆文化である。教育の広がり、寺子屋や私塾が、庶民に教育を広めた。江戸時代後半、文化の中心は上方から江戸に移り、庶民の間の教育が普及しました。

  • 国学…日本の古典を研究する学問。
  • 本居宣長…日本の古典を研究。「古事記伝」を著す。
  • 蘭学…オランダ語を通じ、ヨーロッパ文化を研究する学問。
  • 杉田玄白…ヨーロッパの解剖書を翻訳し、「解体新書」出版。
  • 伊能忠敬…全国の海岸線を測量。正確な日本地図を作る。
  • 寺子屋…町や農村で、庶民に実用知識を教える。
  • 藩校…藩がつくった、武士の人材育成のための学校。

外国船の襲来

通商を求めて日本に接近する欧米諸国の船が増えた。しかし、幕府は外国からの接触を拒絶し鎖国政策を続けた。

  • 外国船の接近…19世紀になるとロシア・イギリス・アメリカの船が日本に近づくようになった。
  • 異国船打払令…1825年沿岸防護と外国船追放が目的。外国船の打ち払いを批判した学者は厳しく処罰された。
  • 大塩の乱…1837年大塩平八郎が天保の飢饉に対する奉行所の対応不満として起こした反乱。

天保の改革

  • 天保の改革老中水野忠邦が実施。倹約令で庶民の贅沢を禁止した。しかしながら、江戸・大阪周辺の農村を幕領にしようとしたが、大名・旗本が強く反対。天保の改革は失敗に終わる。
  • 株仲間の解散…物価の引き下げが目的
  • 雄藩…藩政改革通じて財政建て直しに成功し、政治的な発言力をつけた藩。薩摩藩・肥前藩・長州藩など。

享保・寛政の改革につづき、天保の改革も失敗に終わった。

関連中学歴史「江戸時代の政治改革まとめ」

江戸時代に関する練習問題

次の問いに答えなさい。

  1. 1600年に、徳川家康が石田三成らを倒した戦いを何というか。
  2. 無断で城を改築することなどを禁じた大名統制令を何というか。
  3. 大名に、1年おきに領地と江戸を往復させた制度を何というか。
  4. 江戸幕府が天皇や公家の行動を制限するために定めたものは何か。
  5. 徳川家康がすすめた東南アジアとの貿易を何というか。
  6. 国交を回復したのちの朝鮮から、日本にやってきた使節を何というか。
  7. 江戸時代、農業生産力の向上に役立った、土地を深く耕す道具は何か。
  8. 手工業の原料として取引された、麻やわたなどの作物を何というか。
  9. 江戸、大阪とならんで三都とよばれた都市はどこか。
  10. 大阪に多く設置された、幕府や諸藩が米などを貯蔵する蔵を何というか。
  11. 都市での営業を独占した、大商人たちによる同業者組合を何というか。
  12. 元禄文化が栄えたころの5代将軍は誰か。
  13. 俳諧を大勢させ、「奥の細道」を著した人物は誰か。
  14. 徳川吉宗の政策で、参勤交代の期間を短くするかわりに、米を幕府におさめさせた制度を何というか。
  15. 大衆の意見を広く聞くために設けられた投書箱を何というか。
  16. 農民が費用や農具を買うようになって、農村に広まった経済を何というか。
  17. 大商人などが、工場で人をやとって行う手工業の形式を何というか。(カタカナ9文字)
  18. 大商人に対して都市の民衆がおこした暴動を何というか。
  19. 田沼意次が、税を取って特権を与えた商工業者の団体を何というか。
  20. 松平定信が厳しい倹約策を行った改革を何というか。
  21. 「古事記伝」などにみられる、日本の古典を研究する学問を何というか。
  22. オランダ語を通じてヨーロッパの技術を研究する学問を何というか。
  23. 19世紀の初め、江戸の庶民が担い手となった文化を何というか。
  24. 江戸時代後半に活躍した浮世絵師で、美人画で優れた作品を残した人物は誰か。
  25. 外国船の接近が増えたために、1825年に出された法令は何ですか。
  26. 1837年に、大阪で奉行所の対応に不満をもち、反乱をおこした人物は誰か。
  27. 天保の改革を行った老中は誰か。
  28. 天保の改革で実施された、庶民のえいたくを禁止する決まりを何というか。
  29. 1858年に幕府がアメリカを結んだ、日本に不利な条約を何というか。
  30. 日本には輸入品の関税率を決める権利がなかったが、この権利を何というか。
  31. 天皇を尊び、外国の勢力を排除しようとする運動を何というか。
  32. 安政の大獄への反発から、水戸藩の浪士たちが大老の井伊直弼を暗殺した事件を何というか。
  33. 1867年に、15代将軍徳川慶喜が天皇に政権を返上したことを何というか。
  34. 1868年に始まった、旧幕府軍と新政府軍との戦争を何というか。
  35. 長州藩と薩摩藩は、1866年に同盟を結び、倒幕へと動き出した同盟を何というか。

練習問題 解答

  1. 関ヶ原の戦い
  2. 武家諸法度
  3. 参勤交代
  4. 禁中並公家諸法度
  5. 朱印船貿易
  6. 朝鮮通信使
  7. 備中ぐわ
  8. 商品作物
  9. 京都
  10. 蔵屋敷
  11. 株仲間
  12. 徳川綱吉
  13. 松尾芭蕉
  14. 上げ米の制
  15. 目安箱
  16. 貨幣経済
  17. マニュファクチャア
  18. 打ちこわし
  19. 株仲間
  20. 寛政の改革
  21. 国学
  22. 蘭学
  23. 化政文化
  24. 喜多川歌麿
  25. 異国船打払令
  26. 大塩平八郎
  27. 水野忠邦
  28. 倹約令
  29. 日米修好通商条約
  30. 関税自主権
  31. 尊王攘夷運動
  32. 桜田門外の変
  33. 大政奉還
  34. 戊辰戦争
  35. 薩長同盟

江戸時代の適語補充・選択問題

次の(   )には適語を入れ、そのほかの問題は問いに答えよ。
(1)関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従った大名を(     )という。
(2)徳川家康の渡航許可証を持った日本の商船が、東南アジア各地に出かけて行った貿易を(     )貿易という。
(3)大名を取りしまるために幕府が出した法令を(     )という。
(4)徳川家光が制度化した、大名を江戸と領地に1年おきに住まわせた制度を(     )という。
(5)農民を取りしまるため、1649年に出したとされる法令を(      )という。
(6)キリスト教徒への取りしまりが強化されるきっかけとなった、1637年に天草四郎を大将として九州で
おこった反乱を(      )という。
(7)鎖国後、長崎に限って貿易を許されたヨーロッパの国は(    )である。

(8)土地を深く耕すための農具を次から選べ。
[備中ぐわ、千歯こき、踏み車、唐み]

(9)江戸時代に発達した、商工業者の同業者組織を(     )という。

(10)(9)の結成を奨励し、蝦夷地の開発などを計画した人物を、次から選べ。
[新井白石、徳川綱吉、徳川家光、田沼意次]

(11)織物業などで発達した、働く人々を作業場に集め、分業と協業のしくみで行った生産のしくみを(     )という。
(12)17世紀末から18世紀の初めにかけて、上方を中心に栄えた町人中心の文化を(     )という。

(13)町人の生活を題材にした浮世草子の作家を、次から選べ。
[松尾芭蕉、井原西鶴、本居宣長、近松門左衛門]

(14)杉田玄白や前野良沢らが翻訳して出版した人体解剖書を(      )という。

適語補充・選択問題 解答

(1)譜代大名
(2)朱印船貿易
(3)武家諸法度
(4)参勤交代
(5)慶安の御触書
(6)島原・天草一揆
(7)オランダ
(8)備中ぐわ
(9)株仲間
(10)田沼意次
(11)工場制手工業(マニュファクチュア)
(12)元禄文化
(13)井原西鶴
(14)解体新書

江戸時代の実践問題1

次の文を読んで、あとの問いに答えなさい。

(①     )は関ヶ原の戦いで石田三成を破り、1603年に征夷大将軍となって江戸にⓐ幕府を開いた。江戸幕府は、ⓑ大名の配置や統制に気を配った。幕府政治の全盛期は5代将軍の(②      )のころだったが、しだいに幕府の財政が悪化し、新井白石やⓒ徳川吉宗が政治の引き締めを行った。その後も、ⓓ田沼意次やⓔ松平定信が幕府の政治を行った。

(1)文中の(①)(②)に当てはまる人物名をそれぞれ書き入れなさい。
(2)下線部ⓐのしくみのうち、将軍の下に置かれ、下線部ⓓや下線部ⓔの人物がなった役職を何というか。

(3)下線部ⓑについて、次の問いに答えよ。
①幕府が大名を取りしまるために出した法令を何というか。

②外様大名と幕府の関係を述べたものを、次から選べ。
ア 1万石以下の領地を得た。  イ 御三家とよばれる大名がいた。
ウ 幕府の要職についた。    エ 江戸から遠い所に配置された。

(4)下線部ⓒ~ⓔの人物が行ったことを、次からそれぞれ選べ。
ア 公事方御定書を制定した。  イ 生類憐みの令を出した。
ウ 農村に米を貯蔵させた。   エ 株仲間の結成を奨励した。

(5)下線部ⓒと下線部ⓔの人物が行った改革を、それぞれ何というか。

(6)江戸時代、農民が集団で領主などに反抗したことを何というか。

実践問題1 解答

(1)①徳川家康 ②徳川綱吉
(2)老中
(3)①武家諸法度 ②エ
(4)ⓒア ⓓエ ⓔウ
(5)ⓒ享保の改革 ⓔ寛政の改革
(6)百姓一揆

江戸時代の実践問題2

日米修好通商条約 江戸幕府とアメリカが結んだ条約。幕府は、函館、神奈川などの5港を開いて、自由な貿易を認めた。
下関条約 a日清戦争の講和条約。清は、朝鮮の独立、日本への遼東半島・台湾などの譲渡、賠償金2億両の支払いを認めた。
ポーツマス条約 日露戦争の講和条約。ロシアは韓国における日本の優越権を認め、日本に、領土の一部を割譲し、新たな国境線を定めた。
ベルサイユ条約 連合国とドイツの講和条約。第一次世界大戦のb講和会議が開かれ、日本はドイツ領だった南洋諸島を統治することとなった。
日中平和友好条約 日本と中華人民共和国が結んだ条約。田中角栄首相が中国を訪問して調印した。c日中共同声明の6年後に結ばれました。

上の条約の資料を見て、次の問いに答えなさい。
(1)aが始まった年に結ばれた日英通商航海条約について。この条約を結んだ時の日本の外務大臣とその主な内容の組み合わせとして正しいものを次から1つ選べ。
ア 小村寿太郎-領事裁判権の撤廃
イ 小村寿太郎-関税自主権の完全回復
ウ 陸奥宗光-領事裁判権の撤廃
エ 陸奥宗光-関税自主権の完全回復

(2)bが行われた都市名を答えよ。

(3)cの調印以前の出来事を、次から3つ選び、年代の古い順に並び替えよ。
ア 朝鮮戦争により大量の軍需物資が注文され、これによる特需景気で経済復興が早まった。
イ 東京オリンピックに合わせて高速道路がつくられて、東海道新幹線も開通した。
ウ 日本の産業や経済を独占してきた財閥が解体され、農村では農地改革が行われた。
エ 企業が株や土地に投資したため、株価や地価が上がり続けるバブル経済となった。

江戸時代の実践問題2 解答・解説

(1)ウ 1911年に小村寿太郎によって関税自主権の完全回復されるので、今回はウ
(2)パリ
(3)ウ→ア→イ
日中共同声明は1972年に結ばれます。アは1950年前半、イは1960年前半、ウは第二次世界大戦の1940年後半、エは1980年代後半となります。

江戸時代の実践問題3

次の問いに答えなさい。
(1)江戸時代に幕府が日本人の海外渡航を禁止し、外国との交際を制限した後も、日本との貿易が許されていたオランダや中国の船が来航していた港はどこか。

(2)江戸について述べた文として正しいのはどれか。次のア~エから1つ選びなさい。
ア 江戸は町奉行が治安維持にあたり、幕府が開かれてからペリーが日本に来航するまで、外国人が立ち入ることはなかった。
イ 江戸は京都・大阪と並んで「三都」の1つにあげられ、全国の商業の中心地として「天下の台所」とよばれた。
ウ 元禄ごろには日本の文化の中心は上方から江戸に移り、江戸では近松門左衛門が書いた脚本(台本)によって人形浄瑠璃が盛んに興行された。
エ 陸上交通では江戸を起点に五街道が整備され、海上交通では江戸と東北地方などとを結ぶ東廻り航路が開かれた。

(3)寛政の改革とほぼ同じ頃のできごととして最も適当なものを次のア~エから1つ選びなさい。
ア ロシアではレーニンの指導のもと、社会主義を唱える世界最初の政府ができた。
イ フランスでは政治に対する不満が広がって革命がおこり、人権宣言が発表された。
ウ スペインの援助を受けたコロンブスが、大西洋を横断して西インド諸島に到着した。
エ ドイツではルターたちが、信仰のあり方をただす宗教改革を進めた。

(4)18世紀から19世紀にかけての政治の流れを表した【図】を見て、各問いに答えなさい。

図 A享保の改革→B田沼の政治→C寛政の改革→D天保の改革

①Aの改革を行った人物は誰か。
②Bの時代において、商工業者に対して積極的に結成が奨励された組織は何か。
③Cの改革で行われた政策について述べたものを、次のア~エから1つ選びなさい。
ア 江戸や大坂周辺の大名・旗本領の農村を幕府の領地にしようとして、大名・旗本の反対にあった。
イ 長崎をとおして、銅や海産物をさかんに輸出し、金・銀を輸入した。
ウ 農村に倉を設けて米をたくわえさせた。
エ 参勤交代をゆるめて、そのかわりに幕府に米を献上させた。

(5)松平定信が寛政の改革を行ったころ、「古事記」の研究をして「古事記伝」をあらわし、国学を大成した人物は誰か。

江戸時代の実践問題3 解答・解説

(1)長崎
(2)エ
(3)イ
(4)①徳川吉宗 ②株仲間 ③ウ
(5)本居宣長
(2)イの「天下の台所」は大阪。ウの元禄文化は上方で栄えた。
(4)③アは水野忠邦、イは田沼意次、エは徳川吉宗

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