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中学歴史「明治時代」総まとめポイント

明治時代に関する練習問題についてです。学習のポイントは、明治の政治改革、戦争とその条約の内容など大きな動きをまず押さえ、流れをつかみましょう。

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明治時代のポイント

明治維新は、新政府の改革とそれに伴う社会の動き。政治の基本方針として、五箇条の御誓文を出した。江戸幕府を倒して新政府が樹立され、日本を近代国家にするために、さまざまな改革が実施された。この政治変革と、それにともなう社会の変化を明治維新とよんでいる。天皇を主権者とする政権として諸外国に認められた新政府は、1868年、政治の基本方針を示した五箇条の御誓文を出した。これは、天皇が公家や大名を率いて神にちかうという形をとった。このなかでは、世論の尊重、国民の一致協力、人心の一新 旧制度の改革、先進文明を取り入れることなどが述べられている。

五傍の掲示

新政府はまた、五箇条の御誓文を出した翌日に5枚の立て札を立て(五傍の掲示),国民の守るべきこととして、殺人・放火・盗みの禁止、キリスト教の禁止などを示し、江戸幕府の政策を引きつぐことを示した。ついで、1868年7月に江戸を東京と改め、9月に年号を慶応から明治とし、翌年、首都を京都から東京に移して、新しい政治を進めていった。

  • 五箇条の御誓文…新しい政治方針を示す。
  • 版籍奉還…1869年大名に土地と人民を政府に返させた。
  • 廃藩置県…1867年に藩を廃止して、府県を置き、中央から府知事・県令を派遣して治めさせた。中央集権国家の確立へ。
  • 藩閥政治…倒幕に活躍した公家や薩摩・長州・土佐・肥前の4藩の出身者たちが政府の実権を握った。
  • 身分制度の廃止…皇族以外全て平等であるとした。
  • 解放令…差別されていた身分・職業を平民と同じとする布告。江戸時代の封建的な政治や身分の制度が廃止された。

明治維新の三大改革

富国強兵…経済の発展と軍隊の強化を目指す政策。

<改革>

  • 学制…1872年に公布。6歳以上の男女に小学校の義務教育。
  • 徴兵令…1873年から実施。満20歳以上の男子に兵役の義務。
  • 地租改正…1873年から実施。土地の所有者と地価を定めて、地券を発行し、地価の3%を地租として現金を納めさせた。政府の財政を安定させた。急激な改革に反対する人々の一揆が各地で起こった。

文明開花

欧米の文化が進んだ技術時取り入れられた。暦も欧米にあわせて、これまでの太陰暦をやめて大陽暦を採用し、明治5年(1872年)12月3日を明治6年(1873年) 1月1日とし、1日24時間制や七曜制も取り入れられた。これ以後、日曜日が休日とされるようになった。しかし、文明開化は大都市に限られ、農村では昔ながらの暦を使うなど、以前とあまり変わらない生活が続いた。

  • 文明開化…欧米の文化が取り入れ生活が変化。
  • 食事の変化…洋服・牛肉料理・洋館の建築など。
  • 新しい暦…太陰暦から太陽暦を採用。
  • 新しい思想…福澤諭吉が「学問のすすめ」を著す。
  • 岩倉使節団…岩倉具視を全権大使として、木戸孝允・大久保利通らが欧米を視察。不平等条約の改正には失敗。
  • 殖産興業…近代的な産業を育成する政策。
  • 官営模範工場…群馬県の富岡製糸場などを設立。
  • 交通の整備…1872年新橋-横浜間に鉄道が開通。
  • 北海道の開拓…開拓使が設置。屯田兵らが改革を進める。帰国した岩倉使節団の人々は日本の近代化を進めた。

岩倉使節団

明治新政府は、江戸幕府が結んだ不平等条約改正の交渉と欧米諸国の国情視察のため、1871年10月、岩倉具視を全権大使とし, 大久保利通・木戸孝充・伊藤博文らを副使とする使節団を、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国に派遣した。この岩倉使節団には団員約50名(政府有力者のほぼ半分が参加)のほか、津田梅子(のちに女子英学塾を設立)ら女子5名をふくむ約60名の留学生が加わっていた。条約改正の予備交渉は成功しなかったが、使節団一行は、もっぱら、欧米各国の政治制度や議会のようす、工場・学校・病院などの近代的施設を視察し、日本の国力を充実させ、近代化する必要性を痛感して帰国した(1873年9月)。

  • 沖縄県の設置…1879年、軍事力を背景に、琉球の人々の反対を抑え、沖縄県を設置する。(琉球処分)
  • 清との外交…1871年、対等な立場で日清修好条約を結ぶ。

朝鮮との外交

  • 征韓論…武力で朝鮮に開国を迫ろうという主張。
  • 日朝修好条規…1876年に結んだ朝鮮に不利な条約。

欧米との外交

  • 樺太・千島交換条約…1875年ロシアと結ぶ。
  • 小笠原諸島…1876年に日本の領有が決定。
  • 千島列島・小笠原諸島・沖縄を領土として国境が確定する。

自由民権運動

初めは土族が中心だった自由民権運動は、やがて、豪農 (大地主)や商工業者も参加する運動へと発展していった。1880年、民権派は愛国社を国会期成同盟と改称し、政府に 国会の開設を求める請願書を提出した。政府内でも,要職にあった大隈重信が速やかに国会を開設することを求めた。そうしたなか、1881年7月に開拓使官有物払い下げ事がおこり、民権派は政府攻撃をいっそう強めた。

国会開設の勅諭

政府は官有物の払い下げを中止して、民権派の大隈重信を政府から追放するとともに、国会開設の勅諭を出して、10年後(1890年)に国会を開くことを約束した。そこで、板垣退助らは1881年、フランスの民権思想の影響を受けた急進的な自肉党を結成し、翌年、大隈重信らもイギリス流の議会 政治と立憲君主制を理想とする立憲政進党を結成した自由民権運動の背景には、西洋での市民革命のなかで生まれた民主主義の考え方があって、植木枝盛などは、国民の自由と権利を守ることを人々によびかけた。また、民権運動の高まりのなかで, 憲法や政治のしくみ を研究する学習会が全国各地で開かれ、民間でも憲法私案 (五日市憲法など)がさかんにつくられた。

  • 西南戦争…1877年西郷隆盛を中心とした鹿児島の士族らがおこした反乱。徴兵制による政府軍に鎮圧された。
  • 自由民権運動…議会政治の実現を目指す運動。
  • 民選議員設立の建白書…1874年に板垣退助らが政府に提出した国会の開設を求める意見書。
  • 国会期成同盟…1880年民権派の代表が大阪で結成。
  • 国会開設の整備…政府が10年後に国会を開くこと約束。

西南戦争後に政府が財政を引きしめ、増税策をとったことから世の中は不景気となり、中・下層の農民が没落し、生活に苦しむ人々が増加した。自由党の急進派は貧農と結んで各地で蜂起し、福島事件や秩父事件(埼玉県)などがおこったが、政府は警察や軍隊の力で鎮圧した。この間、地方の党員を統制できなくなった自由党 は解散し、豪農や商工業者らは民権運動の激化に不安を覚え、しだいにはなれていった。立憲改進党も、大隈重信の脱党で弱体化した。その後、政府が約束 した国会開設の時期が近づくと民権運動は再びもり 上がりを見せたが、政府は保安条例などの法令で弾圧したり、政党の有力者を手なずけたりした。

西洋の市民革命

市民階級が絶対王政を倒した革命を、市民革命といいます。 絶対王政のもとでは、国王は大商人と結んで産業を統制し、議会を無視して重税をかけ、信仰の自由も認めていませんした。そこで、豊かな農民や工場経営者らは、都市の新興の 商工業者と結んで、議会で力をのばして対抗していきました。市民階級が、身分制にもとづく社会を改め、自由と平等を求めて絶対王政を倒した革命を市民革命とよんでいます。

秩父事件

1884年の、松方財政下では困民党に結集した農民たちが、秩父事件を起こした。秩父事件の前後には、加波山事件、飯田事件など、自由党員を主力とする一連の激化事件がおこっている

政党の結成

  • 自由党…1881年板垣退助を党首として結成。
  • 立憲改進党…1882年大隈重信を党首として結成。

西南戦争後、政府に対する批判は武力による反乱から言論によるものへと変化した。

大日本帝国憲法

  • 内閣制度…1885年創設。初代内閣総理大臣は伊藤博文
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  • 大日本帝国憲法…1889年発布。君主権の強いドイツ(プロイセン)の憲法を手本とする。
  • 教育勅語…1890年発布。忠君愛国の道徳が示された。

帝国議会

  • 貴族院と衆議院を置く二院制を採用。
  • 第1回衆議院議員選挙…選挙権は直接国税15円以上納める満25歳以上の男子に与えられた。憲法のもとで国民が政治参加する道が開かれた。

韓国併合

  • 韓国併合…1910年日本が朝鮮総督府を置き、武力を背景に韓国を植民地化した。学校では日本人に同化させる教育が行われた。

辛亥革命

  • 孫文…中国の革命家。三民主義を唱え中国の革命の中心人物となる。
  • 辛亥革命…1911年全国広まった近代国家の建設を目指す革命運動。多くの省から清から独立を宣言。
  • 中華民国…1912年孫文が臨時大総統になり建国。アジアで最初の共和国。首都は南京。袁世凱が孫文とともに清の皇帝を退位させ、清が滅亡する。辛亥革命で清が滅亡し、中華民国が成立する。

日本の産業革命

日本では産業革命が起こる。

  • 軽工業…紡績業や製糸業で1880年代から日本の産業の中心となる。
  • 八幡製鉄所…日清戦争で得た賠償金をもとに建設された官営の製鉄所。日本の重化学工業を支える。
  • 財閥…金融や貿易など多くの業種に進出し、日本の経済に影響力を持った資本家。三菱・三井・住友など。
  • 労働問題の発生…労働組合が形成されるようになり、労働条件の改善を求める労働争議は増加した。産業革命で軽工業が発達し、その後産業の中心は重化学工業へ移りました。

明治文化

欧米の影響を受け、それまでとは違った文化が現れる。

  • 文化…近代文学と芸術が発達する。美術では日本の伝統的な美術の価値が見直された。
  • 教育の普及…全国に小学校が設置され、就学率が高まる。欧米の文化を取り入れ、日本の新しい文化が生まれる。

条約改正

1886年のノルマントン号事件をきっかけに、日米修好通商条約の不平等な内容改正し、欧米諸国と対等な地位を得ようとした。1886年、イギリス船ノルマントン号が紀州(和歌山県)沖で沈没し、イギリス人船員は全員ボートで脱出したが、日本人乗客は全員死亡という事件がおこっ た。これを裁いたイギリス領事は、はじめ過失責任なしとして船長を無罪にした。

  • 欧化政策…外務卿(のちに外務大臣)の井上馨は、日本が欧米同様の文明国であることを示し、改正交渉を有利に進めようとして、鹿鳴館で舞踏会を開くなどした極端な政策
  • 関税自主権の回復…1878年に一部の国が合意したが実現せず、1894年に一部回復。1911年に完全に回復する。
  • 領事裁判権の撤廃…1894年外務大臣の陸奥宗光が領事裁判権を撤廃した条約をイギリスと結び実現。

日本は、憲法の制定と条約改正により欧米諸国と対等の地位となり帝国主義へ傾いていきます。

日清戦争

朝鮮半島をめぐる日本と清が戦争を開始。

  • 甲午農民戦争…東学(民間信仰をもとにした朝鮮の宗教)を信仰する人々を中心とする農民が朝鮮戦闘南部一体で蜂起。政治改革や外国人の排除を目指しました。
  • 日清戦争…1890年甲午農民戦争をきっかけに始まった朝鮮をめぐる日本と清の戦争。結果は、日本が勝利し、下関条約を結ぶ。
  • 三国干渉…ロシア・ドイツ・フランスが日本が下関条約で獲得した遼東半島を清に返還するように勧告し、日本は要求に従った。清が衰え、日本や欧米諸国に分割された。
  • 下関条約…日清戦争の講和条約。台湾を統治した日本は、台湾総督府を設置して。植民地化を進める。
  • 八幡製鉄所…賠償金で日本の重化学工業張の発展の基礎を気づいた官営の八幡製鉄所も、建設された。

日露戦争

日露戦争で苦戦を重ねながら勝利をおさめる。

  • 義和団事件…列強の中国分裂に反発して蜂起した義和団を日本を中心とする連合軍が鎮圧した事件。
  • 日英同盟…1902年ロシアに対抗する日本と中国の利権拡大を狙うイギリスが結んだ同盟。
  • 日露戦争…1904年に始まりその後、日本は物資が不足し、ロシアハ国内の混乱して、両国とも戦争の継続が難しくなり、1905年に締結。
  • ポーツマス条約…1905年アメリカの仲介で結ばれた日露戦争の講和条約。
  • 日比谷焼き討ち事件…戦争の犠牲の大きさに対し賠償金が得られないことから国民がおこした暴動。日本は列強としての地位を固め、大陸の進出を狙う。

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