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中学歴史「奈良時代のまとめ」

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中学歴史「奈良時代のまとめ」です。

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奈良時代のポイント

聖武天皇は、仏教の力で国の平安を保とうとした。奈良時代の初めごろは皇族が政治を行い、朝廷で強い勢力をもっていた。

しかし、皇族や貴族の間で権力争いがおこるようになり、聖武天皇が在位した720年から740年代は凶作が続き疫病が流行するなど、社会不安が広がっていた。

仏教は国家の平安と繁栄をもたらし、人々を幸福にする力をもつとされていた。そこで、聖武天皇は仏教の鎮護国家の思想で国の平安を保とうと、国ごとに国分寺と国分尼寺を、都に総国分寺として東大寺を建て、大仏を造立した。

聖武天皇

大宝律令を施行した文武天皇が若くしてなくなったあと、その母が即位して元明天皇となると、710(和銅3)年に平城京をき築き、藤原京からここに都を移した。ここらが、奈良時代であり、聖武天皇が登場してきます。仏教で国を守ろうと国ごとに国分寺・国分尼寺、都に東大寺を建てた。その頃に天平文化が栄えました。

  • 平城京唐の都の長安ににせて作られた。
  • 仏教保護の政策…道鏡などの僧が政治に進出してくるもとになった。このころ、社会事業につくす人々が現れ、光明皇后(聖武天皇の皇后)が悲田院(養老院・孤児院)や施薬院(病院) を設けて、みなしごや病人を救った
  • 鑑真…何度も遭難しながらも、日本へ渡って仏教の戒律を伝えた。
  • 藤原仲麻呂…養老律令を施行した。
  • 光明子…驚く仏教を信仰し、貧窮者の救済をめざして悲田院・ 施薬院を置いた。

天平文化

天平文化一覧
奈良時代の文化は、聖武天皇の天平年間(8世紀前半)に 最も栄えたことから、天平文化とよばれています。

天平文化は、遣唐使などによってもたらされた唐文化の影響を強く受けているほか、遠くローマ・西アジア・インドなどの影響も見られる国際的な文化である。また、平城京を中心に、聖武天皇の仏教保護の政策を受けて、寺院を中心とした仏教文化として、貴族の間に広まっていった。

天平文化を代表する建築物
東大寺の正倉院、唐招提寺金堂、法隆寺夢殿がある。彫刻では、興福寺の阿修羅像、東大寺法華堂、日光・月光菩薩像、絵画では、薬師寺の「吉祥天画像」、正倉院の「鳥毛立女屏風」などが有名である。

正倉院
正倉院の宝庫は、風通しをよくし、湿気を防ぐために、壁面を三角形の木材で組んだ「校倉造」の建築様式で知られる。また、正倉院には、聖武天皇が愛用した工芸品が数多く納められている。このうち、紺瑠璃坪(紺色のカップ形のグラス)・漆胡瓶(うるし塗りの水さし)・伎楽面・螺鈿紫檀五絃琵琶などは、ローマ、西アジア、インドなどを起源とするものである。

天平文化の代表的な文学作品
『古事記』『日本書紀』『万葉集』などがつくられた。

■ 歴史書
712年に、稗田阿礼が暗誦したものを大安万侶が『古事記』としてまとめ、720年には舎人親王らが『日本書紀』を編さんした。

■ 地理書
国ごとに地名の由来・産物・伝承などを記した風士記がつくられた。

■ 代表的な万葉歌人
18世紀の後半には、天皇や貴族、農民・防人らの作品約4500首を収めた日本最古の和歌集である『万葉集』がまとめられた。大伴家持・柿本人麻呂・山上憶良・額田王らが知られ、表記には日本語を漢字で表した万葉がなが使われていた。

<天平文化まとめ>
聖武天皇の天平年間に最も栄えた、国際色豊かな仏教文化

  • 正倉院…聖武天皇の遺品が収められた。西アジアの影響やインドの影響を受けた宝物もあり、これらはシルクロードを通じて、遣唐使によってもたらされた。
  • 古事記・日本書記…神話や伝承・記録などをもとにまとめられた歴史書。
  • 風土記…各地の自然・産物・伝記などをもとにまとめた歴史書。
  • 万葉集…日本最古の歌集。山上憶良が貧しい農民の生活をよんだ「貧窮問答歌」が有名。
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