中学歴史「大正時代のまとめ」です。大正時代は、1912年から1926年までの期間で、明治時代の変革の余韻を受け、新しい時代の風が吹き荒れた時代です。大正時代は、洋風のファッションや新しい音楽、映画、ラジオなどが登場し、都会の風景はますます洗練されました。
大正時代のポイント
第一次護憲運動が1912年に起こった。憲法にもとづいて政治を守ろうとする運動でした。
- 大正デモクラシー…自由主義や民主主義を求める風潮や運動。
- 民本主義…吉野作造が唱えた普通選挙で国民の意見を政治に反映させると主張。
- 米騒動…1918年米の価格が急に上昇したことから米の安売りを求めて起こった暴動。
政党内閣
米騒動後に首相となった原敬が陸・海軍、外務以外の大臣を第一党の立憲政友会から出して組織した。民主主義を求める運動が全国に広まり本格的な政党内閣が成立した。
大正の社会運動
社会運動が、全国に広まる。
- 労働争議…労働者が雇い主に労働者の意見を認めさせるためにストライキなどを行う。
- 小作争議…小作人が地主に小作料の引き下げを求める。
- 女性運動…1920年平塚雷鳥が新婦人協会を結成。女性の政治活動の自由、高等教育の拡充などを求める。
- 部落解放運動…1922年部落差別からの解放を目指して、全国水平社が形成される。
- 普通選挙法…1925年に制定された25歳以上の男子に選挙権を与える法律。
- 治安維持法…共産主義の活動などを取り締まる法律。
女性や労働者、差別を受けた人々が解放を求めて立ち上がった。
第一次世界大戦
- 三国同盟…同盟関係にあったドイツとオーストリアにイタリアが加わって結ばれた同盟。
- 三国協商…三国同盟に対抗し、ロシアとフランスが同盟を結ぶ。イギリスもロシアと協商を結んだ。
オーストラリアの皇太子夫妻がの青年に暗殺された事件。バルカン半島は、宗教や民族の対立から紛争が絶えずヨーロッパの火薬庫と呼ばれた。
第一世界大戦は、サラエボ事件をきっかけに、オーストリアがセルビアに宣戦布告。各国も参戦。ドイツ、オーストリア、トルコを中心とする同盟国側とイギリス、フランス、ロシアを中心する連合国側に分かれて戦った。
アメリカの参戦は、1917年連合国側として参戦。新秘密兵器の登場で、戦車、飛行機、毒ガスなどが登場。結果、連合国側の勝利で終結。4年間続いた対戦で、世界中1500万人異常がなくなったとされている。第一世界対戦は世界中を巻き込む総力戦と発達した。
ヨーロッパでおこった戦争ではあったが、日本は、この大戦を大陸進出の好機とし、戦争の初年に日英同盟を理由にドイツに宣戦した。陸軍は、山東半島を攻撃して中国におけるドイツの軍事拠点の青島を占領し、海軍は ドイツ領南洋諸島を占領した。またインド洋や地中海にも軍隊を送った。
ヨーロッパ列強がアジアを かえりみる余裕がないのにつけこみ、日本は、1915 (大正4)年、中国に対して二十一か条の要求をつきつけた。これは、中国におけるドイツの権益を日本が引き継ぎ、さらに日本の権益を拡大しようとするものであった。 日本は、最後通牒を発して、ときの中華民国大総統袁世凱に対して、要求のほとんどを認めさせた。
ベルサイユ条約
世界平和のための国際連盟が誕生する。ベルサイユ条約は、1919年にパリ講和会議で結ばれた第一次世界大戦の講和条約。ドイツは巨額の賠償金や領土縮小などを課せられた。
国際連盟
アメリカのウィルソン大統領の提案で1920年に設置された。世界平和のための国際機関。本部は、スイスのジュネーブ。
- 民族自決…ウィルソンが唱えた各民族が自分たちの政治的なことは自分で決めるという考え方。
- 常任理事国…イギリス、フランス、イタリア、日本。
- 参加国…42カ国。アメリカは国内の反対で不参加。
国際連盟が誕生したがアメリカの不参加やヨーロッパ以外の民族自決は考慮されないなど問題が多かった。しかしながら国際協調に向けた動きが活発になりました。
ソビエト社会主義共和国連邦の成立
ロシアでは戦争や皇帝の専制に対する不満が爆発。1917年労働者のストライキや兵士の反乱が続き、レーニンの指導のもと、世界で初めて社会主義の政府ができた。
1922年にソビエト社会主義共和国連邦が成立。共産主義を目指し計画経済や独裁政治が行われた。ロシア革命後、1922年にソビエト社会主義共和国連邦が成立した。
朝鮮の独立運動
日本は朝鮮を武力で支配していたが、1919年3月1日京城(ソウル)で、朝鮮人独立運動家が独立宣言を発表し、それをきっかけに「独立万歳」を叫ぶデモ行進が朝鮮全土に広がった。これを三・一独立運動というが、 日本の軍隊・警察によって鎮圧された。
中国の民族運動
1919年、パリ講和会議で日本の二十一か条の要求は無効であるとする中国の主張がしりぞけられると、これに抗議する北京の学生が、5月4日にデモ行進を行った。それをきっかけにして中国各地で,軍閥打倒と抗日をとなえる運動がひろがった。これが五・四運動である。
孫文は中国国民党を 四運動後,結成して、広東 (広州)に政府をつくり、各地の軍閥と対抗した。また、中国共産党員の国民党へ入党を認め、第一次国共合作を成立させた。孫文の死後、あとを継いだ蒋介石は、1926年から、国民革命軍を率いて、北方の軍閥を倒すための北伐を開始した。その間、共産党を弾圧し、1927年には南京に国民政府をたて、翌年にはほぼ全国を統一した。
インドの独立運動
第一次世界大戦中、イギリスはインドに自治をあたえる約束で、インドから兵士や物資を送らせたが、イギリスは約束を守らなかった。国民会議派のガンディーは、非暴力・不服従をとなえて、独立運動を進めたが、イギリスはきびしく弾圧した。1920年代に入ると、ネルーが中心となって、完全独立をめざす運動を続けた。
トルコ共和国の成立
同盟国側についたトルコは、敗れて4分の3の領土を失った。ケマル=パシャは皇帝を廃し、1923年、共和政を宣言、みずから大統領となり、女性に参政権をあたえるなど、国内の近代化と民主化につとめた。
新しい生活と文化(大正文化)
資本主義の発達につれて、都市人口が増加し、いわゆるサラリーマンや職業婦人が増えた。大正時代には、こうした都市の大衆を担い手とする市民文化が繁栄した。教育の普及・整備はすすみ、高等学校が増設され、帝国大学のほかに、公立・私立の大学を認めるなど高等教育の機関が拡充された。それによって、新しい文化や教養を求める人々が増え、近代科学も発達した。
武者小路実篤、志賀直哉らが、雑誌「白樺」を中心に、人道主義の立場から人間の幸福を追求する文学運動をすすめた。また、谷崎潤一郎や新思潮派の芥川龍之介らが活躍し、労働者や農民の生活を描いた小林多喜二らのプロレタリア文学も生まれた。洋画では、二科会の梅原龍三郎、安井曾太郎や岸田劉生らが新風を吹き込んだ。 日本画では横山大観や下村観山らが活躍した。
文化の大衆化が進み都市の生活の変化する。
- 大衆文化…トーキー(有声映画)、ラジオ放送など
- 文学…芥川龍之介、志賀直哉、小林多喜二など。
- 都市の生活…文化住宅、洋食が広まり、欧米風の生活様式が流行する。
新しい思想や文化が生まれ欧米風の生活様式が流行した。
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